大原 明慶寺 1/2

5)大柿町南部 青木妙慶寺 
大原平野の最奥、新宮八幡社とは八幡川を挟んだ対岸の高台に浄土真宗東本願寺派「明慶寺」があります。

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新宮八幡社の境内から、八幡川を挟んで西の高台に明慶寺の大伽藍を臨むことができます。
明慶寺境内やその周りに植えられたケヤキの紅葉が色を添えます。

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国道487号線から枝分かれした道を高台の方へ登ると、石垣と焼杉板の壁で囲われた一見武家屋敷風の建物が目にはいります。

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さらに歩を進めると、広い石段を積み上げた先に山門と鐘楼が・・・。
その、どっしりと構える山門横の塀には銅板がはめ込まれ、明慶寺の由緒が書き込まれています。

 明 慶 寺 由 緒

当山の開基は、甲斐の国・山梨県出身、十六世紀後半の戦国時代に、戦国武将の武田信玄、織田信長、豊臣秀吉などに従って各地を転戦する間に、念仏の宗旨に出会い、父助市の勧めで、堺の善教寺にて剃髪得度した長坂藤四郎こと釈道栄と伝えられている。

秀吉が起こした文禄・慶長の役(朝鮮侵略)の植民集団大動員に従い、佐賀県の名護屋に赴くが、秀吉の企てが失敗したため、この能美島へ渡来、遅くとも1598年末ごろ、一寺を開いたと、推定される。

江戸時代の初期、1636・寛永十三年、西本願寺より、阿弥陀如来木仏尊像(現存)と寺号「明慶寺」が認可され、また、元禄・宝永の代わり目、1690~1710年ころ、松右衛門が、現在地の寺地を寄進し、五間四面の本堂と四本柱の鐘撞堂が出来ている。

1716・正徳六年には、総門徒中の意向を容れ、第六代住職・釈秀管が尽力し、明慶寺は、西派の上寺・広寂寺の羈絆を離れ、転派、東本願寺末寺となった。

現在の本堂は三度目の建立であり、1814・文化十一年に上棟、現鐘楼は1839・天保十年に完成、いずれも第十代住職・釈恵暁の時代である。

明慶寺の梵鐘が、朝な夕な鳴り響いてきた年月は、今ではすでに三百星霜。

南無阿弥陀仏の信心を獲得してきた門信徒の歴史は、開基以来、四百星霜を重ねてきている。

1998(平成10)年3月25日   明慶寺門徒総代会一同

 

ちなみに、大柿町史(能美島志1763年)の記載では、

青木山「妙慶寺」 大原村 真宗東本願寺派 大永年中(1521~1527年) 山野井入道宗和の母妙慶尼の建立・・・と、あります。

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この日おとずれたときは、春の法要(永代経?)とかの準備でしょうか?山門や本堂正面にりっぱな寺幕が掛けられていました。

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門徒のお婆さん?が本堂の階段を何度も、丁寧に掃き清めて・・・m(__)mです。

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木々の芽が膨らむ3月、境内に入りまずびっくりしたのは、すっくと伸びるケヤキの樹です。
まだ、植えられて数十年の若木ですが、ケヤキは江田島には自生しませんし、植栽樹もまれです。

始めの画像にも見える秋の紅葉と、天に向かって背伸びする元気いっぱいの樹形はとても好きです。

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本堂の造りもよけいな飾りを控え、禅寺にも似たシックな落ち着きを感じます。

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その本堂には銀色に輝く大屋根が乗ります。

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本堂正面に揚げられた寺額には「青木山明慶寺」 昭和五十五年春彼岸 寺苑老巨松材 空外?とあります。

境内に古くからあった老松を製材し書かれた、由緒ある寺額のようです。
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