大原 薬師堂

5)大柿町南部・薬師堂 
薬師堂は宝持寺から西に200mばかり行った丘の上に建ちます。

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一般には大原の薬師堂と呼ばれますが、お堂の右の柱には「医王山 薬師堂」と左柱には「第六十七番本尊 薬師如来」と墨書された古札が架かります。

大柿町史には、「医王寺」大原村山麓にあり、傍の丘に薬師善逝の霊像がある。 景色よし、安美の詩(七絶)がある。 病気平癒所。・・・と、記載されています。

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建立の経緯は不明ですが江戸時代後期には宝持寺の末寺?となっていたようです。

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現在のお堂はまだしっかりと建っていますので、明治あるいは大正の頃の再建?では、と???・・・(^_^;)想像です。

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お堂の頂部には、何段にも重ねた台の上にネギ坊主を模したと云われる宝珠(ほうじゅ)が乗ります。
ちなみに、宝珠を乗せる方形の台を露盤(ろばん)と呼び、その上のお椀を伏せたような半球を伏鉢(ふくばち)、ハスの花を模した台を請花(うけばな)と呼びます。

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透明感を増した9月の日差しが、桜葉を透かしてお堂の銀屋根に降りそそぎます。

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境内の前庭には一本の石柱が建ち、「薬師經石塔」と彫り込まれています。

この石柱の由来について、江田島市教育委員会編集の「江田島市指定の文化財」から抜粋しますと・・・

大柿町重要文化財(平成4年1月17日指定)

薬師堂の経石塔(きょうせきとう)

江戸時代

大柿町大原(宝持寺)

高さ83cm 幅18.5mm 台座の高さ58cm

 

大原の薬師堂の境内にみかげ石でできた経石塔がある。

4年に一度は訪れるという洪水や干ばつで、相次ぐ飢饉により死亡した人々の霊を供養するため、宝持寺住職の発願で薬師経を一字一石に写して埋め、経塚にして建てられた石塔である。

表に「薬師経石塔」、側に「当邑横苑消除一石一字写者也 安永2年(1773)癸巳5月吉旦 現宝持寺敬白」と刻されている。

経石は一部掘り出され大柿地区歴史資料館で保管展示している。

・・・と。

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4月、桜花舞う・・・

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ええなぁ~~~・・・

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げに、極楽浄土とはこんなとこかも・・・

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花は散る。 春、かぜにふかれて・・・

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