大原 行者堂

5)大柿町南部・行者堂 
大原の中心部を見下ろす行者山の頂きを平らにならし、役行者様を祀る行者堂が建ちます。

2015-01-24 072 
行者堂の周りには、樹齢50年をゆうに超えるソメイヨシノの古木が育ち、毎年春四月の法要のころ、行者山の頂にはピンクの花びらが敷き詰められます。

2015-01-24 073 
深く一礼し、正面の戸を押し開きました・・・m(__)mです。

御本尊行者様の御顔は、幕の陰でよく見えませんが、御供物台にはお酒の他に沢山のお塩がのせられていました。
当地では昭和初期の頃まで製塩業が盛んでしたので・・・おそらく・・・。

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堂内の壁に掲げられた、「東沖行者堂建設発起人会」の皆様です。

行者堂と同時期に建てられた、境内の石板には・・・

行 者 堂 之 由 来

大原行者堂に祭られる本尊は、役氏(えんし)大行者(役之行者)本地は法起菩薩である。

明治の始め吉田仁五郎なるもの、ある朝海岸を散策中に光るものを見、近づいて見ると木箱あり、なかに仏像がおさめられてあり。

家に持ち帰りねんごろ供養するに夜毎枕辺に行者あらわれ「吾は役の行者なり。行者山頂にほこらを建て供養せんに関係地域住民は必ず仏の加護を得ん」とのお告げあり。

不思議に思い、有志名位に意見を求むるに東沖地区住民の守護仏として祭ることに衆議一決し、関係住民より浄財を勧募し行者山頂にほこらを建て、宝持寺住職を拝請し開眼菩薩法要を厳修す。

以来毎年春四月に多くの善男善女参拝し祈祷供養法要を勤め今日に至る。

昭和六十二年四月吉日  東沖住民一同

贈 鴻上石材店
・・・と、あります。

また、行者堂建設寄附者芳名として・・・
一金拾万円也 藤井組社長・川口隆香
一金五万円也 灘尾弘吉・堀幸雄・峯川清・吉田明治・有重勝晴・鴻上益雄・灘尾みどり・大木路子
一金参万円也 川原利雄・上河内光行・石田シマノ・山本芳郎・山本秋三・森本健太郎・能地ハルヨ・花田幸次・小松満義・有重弘・大谷病院・沖井修
他、多くの方々の芳名が記された大板が掲げられていました。

蛇足・・・(^_^;)です。
行者山の頂付近には、古い瓦片が散らばりますし、行者山の山名は古くから呼ばれていた?ようですし・・・、この行者山には行者堂以前にも、古くからのお堂?あるいは祠?が有ったのかも???です。


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昭和50年代の頃まで、この行者山一帯は余すところなく耕され、蜜柑や薩摩芋、麦などが栽培されていました。
段々畑の石垣は今も当時のままに残っていますが、畑を耕しに現れるのはイノシシの大家族とアナグマの親類縁者のみ、コナラの葉っぱが降り積もった下には、彼らの大好物であるミミズやイモムシがウジャウジャ ・・・ (^_^;)です。

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行者堂へと登る道は、この東沖八幡宮の横にある小さな階段をたどります。

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少し登ると、みかん畑の急傾斜法面を削って建てた小さな祠があります。

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中には石仏が安置され、「第十八番 本尊薬師如来?」と墨書された木札が立て掛けてあります。

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さらに、東沖八幡宮の右隣に接して真新しい小さなお堂が建ちます。

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小堂内にはお地蔵様が安置され、格子戸の枡から差し込む光が柔らかに堂内を照らします。

大原行者山(S38?)
昭和30年代?の行者山です。
山の頂まで段々畑が続き、山頂には小さなお堂?が見えます。
右下は大柿高校の木造二階建て校舎です。
(大柿歴史資料館よりコピペ・・・m(__)mです。)

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