大原 八幡川

5)大柿町南部・八幡、大又川 
大原地区の田畑を潤す有用な水源として、八幡川と大又川の流れがあり、二本とも陀峯山山系に降る雨水を集めて北流し大原湾へと注ぎ込みます。

他にも陀峯山山系の谷筋を南に向かって流れ下る急流が何本かありますが、花崗岩の岩盤を削って流れる急流は水量の変化が極端すぎるために有効利用するための作がありません。

2014-05-07 002 075 
八幡川、大又川の水源付近からみた大原平野と、その流れの先に青く大原湾の水面が輝きます。
遠くに霞む山は野登呂山(542m)です。

2014-05-07 002 018 
陀峯山山系(438m)から、ほぼ一直線に流れ下る八幡川は、度々下流域に大きな災害を及ぼします。
過去幾多の災害経験を活かし、要所要所に小さな防災ダムを作ってはいますが、さらなる災害を想定し、あらたに近代的な砂防ダムの構築を始めました。

2014-05-07 002 014 
八幡川の水源が棚田を潤します。
昭和のころは見渡す限りにあった棚田も、いまは片手の指だけを使って数えることができます。

2014-05-07 002 150 
川から離れた田畑にも均等に給水するため、大原平野を見下ろす丘の上に八幡川からの水を引いて造った農業用ため池です。

2014-11-24 014 
治水のため両岸ともコンクリートで固められていますが、植物の繁殖力の方が少しだけ優勢な感じ・・・(*^。^*)です。

2015-02-07 023 
今は両岸を殺風景なコンクリトの堰堤に囲まれていますが、対岸の藪の中に「旧御旅所」と刻まれた石柱が建ちます。

御旅所(おたびしょ)とは、新宮八幡社からの御神輿が巡幸の途中で一休みされるための神聖な場所です。
昭和20年の大水害で八幡川が氾濫する以前は、対岸の方に巡幸街道があり、八幡川のせせらぎの向こうに遮るものなく広がる田畑を眺めて御休息された、風光明媚な聖地であったのでしょう。

そういえばいつだったか、藪から飛び出した小枝に瑠璃色に輝くカワセミを見たことがあります・・・(*^。^*)です。

2014-05-22 002 038 
橋のガードレールに「三月田橋」と書かれたプレートが止められています。
八幡川はこの付近で大きくカーブしますので、それに合わせて、三日月形をした田んぼがあったのでしょう。
八幡川の水は水量を増し、さらさらと流れますが、近くに田んぼは無く、川の水は誰にも利用されることなくさらさらと流れ下っていきます。

2015-01-24 022 
今時にしては珍しく簡素な橋がかかります。
橋の下にはメダカやハヤの影が走り、クレソン(オランダ辛子)が青々と茂ります。

2014-08-11 011 
八幡川に注ぐ支流の源流付近にある地区の水道施設です。

今はまったく利用されていませんが、太田川からの送水を受けて江能上水道組合(昭和40年6月13日通水)が立ち上がるまでは、各集落ごとに小さな水源を見つけ、住民の命の水として大切に管理されていました。

ちなみに、通水当時の水道料金は月額家庭用基本料金が10㎥で250円、超過料金1㎥当たり25円だったと云われます。

以下に太田川からの水道給水が開始される以前の島民の水事情を・・・

「大柿町広報 昭和32年2月号」に、町民の声として掲載されたその一部を要約し転記します。
水道の建設をもっと積極的に考えていただきたい。

家庭生活を営む上に一番重要なのは水であります。
なかんずく食生活にいたっては飲料水の良、不良がそのすべてを左右しているものと存じます。
にもかかわらず、私共は島嶼部という宿命的とでも申しますか・・・地勢的制約のために飲料水には極度の不自由をしいられてまいりました。
そのうえ、この2,3年来の高潮のため海岸線一帯の井戸は、そのほとんど全部が塩害にわざわいされ使用不能となり、飲料水は貰い水にいくのが私共今日の生活の実態であります。
・・・これを機会に部落会も保健所も役場も一緒になってもっと水道建設について積極的に国や県へこの窮状を訴え、一日も早く全大柿町に水道が完備する様考えて頂きたいと思います。
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