大原 福連木公園・椿公園ほか

5)大柿町南部 福連木公園・椿公園 
大原地区は江田島市内でもっとも古くから開けたため、長い歴史と多くの史跡があります。

2014-05-22 002 064 
大原と柿浦の境に交通の難所だった福連木峠がありますが、その峠から少し大原に寄った小丘に仁田竹一氏の彰功碑が建ちます。

明治27年深江村に生まれ、広島県議、大柿町長、県教育委員長、参議院議員を歴任、政界引退後は広島県西部地域の海運業界の発展に尽力され、この小丘を福連木公園として町に寄贈されました。

2013-11-29 002 011 
深江地区新開から椿林道を登った先、小川の対岸に小丘があり宝篋印塔(ほうきょういんとう)が二基、五輪塔二基が建ちます。
(江田島市埋蔵文化財包蔵地一覧表より)

中世の古墓ですが仔細は不明、お地蔵さんを祀った小さな祠と簡素な小堂が建ちます。
昭和後期の頃まではすぐ近くまで山田が耕され、お百姓さんの休息場所にもなっていましたが、今は雑木に覆われ、参道もシダ類の下に見え隠れです。

2015-03-06 071 
この椿公園の付近は、古くから、「つばけ」あるいは「椿原」と呼ばれ、自生のヤブツバキが多く、椿の生育に適した土地のようです。

近年江田島市の新事業として展開され始めたオリーブ栽培も一案ですが、椿材や椿炭、椿油などの見直しも・・・(*^。^*)です。

ちなみにツバキは旧大柿町の「町の木」にツツジは「町の花」に指定されていました。
(合併後の江田島市の木はサクラ、花はキクです。)

2014-09-18 079 
城山と呼ばれる、古くは砦とかあっただろう小丘に山野井氏の古墓所が残ります。

画像ほぼ中央のもっとも大きなお墓が、「中祖 重久」宝持寺殿融安宗和大居士 慶安四年卯四月七日(1651年)
その右が、「山野井源三郎重仍」享保十三戌甲年十二月十八日(1728年)
「中祖 重久」の左のお墓は、「重久 妻」承応二年二月十五日(1653年)
(大柿地区歴史資料館より)

ちなみに山野井氏の遠祖は四国河野水軍の流れをくみ、貞治四年(1365年)ころに水軍力をもって当地に移住し能美姓を得たとされます。

のち、大内氏の傘下から、毛利氏、福島氏、浅野氏の傘下と代わりますが、元和五年(1619年)のころ能美姓から山野井姓となり、武を捨て農に帰します。

2015-01-24 104 
馬場と呼ばれる地の東側、忍谷の小丘に中世の五輪塔が一基建ちます。

この五輪塔は、能美左馬之亮(のうみさまのすけ)のお墓とされます。
古記録によれば左馬之亮は、永禄四年(1561年)厳島神社大鳥居の西の真柱を大原村神社から切り出し、その運搬の任に奔走した。・・・と記されているそうです。

また、付近からは土師質の土器も出土しました。

2012-10-10 003 022 
大柿中学校の東、八幡川を渡った崖下に「防地道路改修記念」昭和七年三月 大柿町と刻まれた石碑が建ち、裏には協力者の御名も残ります。
柿浦の東、坊地(防地)地区と、この石碑の立つ大原河内とを最短で結びます。

2014-09-14 084 
大原 阿弥陀堂 の記事に詳しく記載しましたが、推定樹齢五百年、広島県の天然記念物に指定された「大原のクロガネモチ」があります。
温暖な瀬戸の 陽光を一杯に受け、さらに大きく立派な樹へと成長を続けています。

江田島市では他に「鹿川のソテツ 」が広島県天然記念物の指定を受けています。

2015-04-02 015 (1024x768) 
桜花乱舞の大原薬師堂です。

お堂の裏手を少し登った先に「能美島 島名発祥の地」と刻まれた石碑があり、さらに登って八王寺農道を西に進んだ先には「大原村落発祥の地 入野の里」の石碑も建ちます。
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