深江 荒神社

深江地区は大柿町の西側に位置し、その南北に伸びる長い海岸線のすべてと、沖野島、長島、我島を有します。
慶長6年(1601年)福島正則の検地により、それまで山野井(能美)氏の所領であった(能美にし・能美ひがし)を分割、深江村として他の村々とともに佐伯郡に組み入れられました。
以後、大柿町と合併する(昭和29年11月3日)まで、佐伯郡深江村として、沖野島、長島、我島をも含めた広大な海を占有し、背後に迫る急な山裾を耕して生活する半農半漁の集落でした。

眼前の大きく広がる海とは正反対に、わずかな平地しかない深江地区ですが、密集する家々を押しのけて荒神の社が建ちます。
2014年2月、拝殿屋根の大改修が行われていました。

同年12月、再び訪れると真新しい烏羽瓦が夕日に輝いていました。
深江荒神社の建立年は不明ですが、能美島志(1763年)には大原村の荒神祠、一社のみが記載されています。

鳥居の前に標柱が建ち「刀兵不能害」「水火不焚漂」と深く彫り込まれています。
「刀兵不能害」「水火不焚漂」は「堅め」と云われる呪的作法からの引用で、強敵と戦わねばならない場合などは、この詞をもって身固を行い、心身を武装し、さらには悪魔から身を隠すことも・・・。
以下、コピペ・・・m(__)mです。
一、大勝金剛印呪 偈文
印…内縛(全て内側に組み伏す)し、両中指を立て合わせ、その先を剣先型にする。
呪…「オン マカバゾロシュニシャ ウンタラクキリクアク ウン」 七遍
偈…「若末法世人 長誦此真言 刀兵不能害 水火不焚漂」
ニ、左手は金剛拳(軽く親指の先を握る)にして腰に安じ、右手を剣印(刀印)にして、真言を
誦しつつ、四つ竪に、五つ横に、九字を切る。(所謂四縦五横)
呪…「オン アニチヤ マリシエイ ボロン ソワカ」九編
標柱裏に、寄進人 二間倉次 昭和九年八月 建

鳥居には、寄進人 亀頭増太郎 仝息 和三郎 昭和拾壱年九月吉日 と。

拝殿の正面に大きく真新しい、しめ縄が張られています。
ふさ飾り(〆の子)が汚れないように、ビニール袋が架かったまま・・・(*^。^*)です。

当社に架かるしめ縄は、両端が細く中央が太いので「大根締め注連縄」と呼ばれ、出雲大社と同じ様式です。

奉献 深江村??? 新道庄吉 昭和九年十月吉日 拝殿に架けられた若武者画です。

「御蔵米 深江自治会」お祭りで奉納する米俵に付ける「札差」と呼ばれるものです。

境内には 「孜神」 昭和九年社殿改築記念の碑 発企人 山口初治 が建ちます。
ちなみに孜(し)には、つとめる、勤め励む、勤勉、いつくしむ、おもう、の意味があります。

この日、2014年12月22日は19年に1度訪れる 「朔旦冬至(さくたんとうじ)」 、日暮れは駆け足・・・(*^。^*)です。
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