深江 長島・我島

5)大柿町南部 沖野島・長島・我島 
沖野島の南2000m、親休鼻(おやきゅうばな)の西500mばかりの沖合に2つの島、長島と我島(わがしま)が浮かびます。
長島(面積0.22㎢、周囲1.8㎞)、我島(周囲0.3㎞)普段2島は7、8mの海峡で隔てられていますが、最大に潮が引けば飛び移ることのできる距離にあります。

長島・我島(グーグル) 
画像はグ-グル地図(2015年)です。
長島の左上、雨滴のようにくっ付いて見えるのが我島(わがしま)です。

我島で波を遮られた海面は、一時期真珠貝の養殖が行なわれたこともありますが、いまは砕石運搬船の停泊地となっています。

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大柿地区歴史資料館に展示されている、「我島(長島)の図」です。
作者は江戸中期の狂歌師芥川貞佐、号は桃緑斎で「桃緑斎 貞佐」です。
(中央部手前の半島のように飛び出している小山が我島、背後が長島です。大黒髪島方向からの鳥瞰図です。)

大柿地区資料館の説明書きに・・・

我 島 、 奈 賀 島 ( 長 島 )

古歌に和田海の、おきところこそ、うたてけり、こはわがしまぞ、これはなが島、一におきところこそ、うきたれば、こる我島そに作る。
歌枕名寄に、當国に繋たり、懐中抄に見ゆ、読人を記せず、能美島、深江村、牛鼻西北海上十町許に二小島あり、一は我島と称し、周五町許、一はなか島と称し、周一里餘、是和歌所詠なりといふ、厳島道芝記に、此歌を神詠として、我島は厳島の事とす。
今歌の意を考るに我身の所置よからずして、われはわが島に居り、汝はなが島に居りて、同じく住むことを得ずとの意なるべし。
されば男女相おもうのうたなり、恐らくは、神詠の託する所にあらず。

  俳師風律、此島に至り、句を題す
       千代やへむ、こる我しまの松露とり
                 (芸藩通志巻五十四による)

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貞佐の「我島の図」にもあるように、我島近海は今も漁場としてにぎわいます。
この日は、シラス漁の魚船が入り乱れ、何度も網を巻き上げていました。

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普段は無人島ですが地権者や、漁協関係者のご厚意で、夏休み市内の小学5、6年生を引率しての体験学習会が開かれます。
(主催 さとうみ科学館)

画像左に我島の全景、背後に採石場が白く見えるのが大黒神島です。

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静寂無垢、透きとおる無人島の海辺はまさに別世界。
海には慣れ親しんでいる島の子供らも、始めて体験する異常空間に尋常では無いはしゃぎようです。

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周囲1800mの海岸を潮の引く2時間で一周します。
見たことの無い磯の生物に興味津々、歩は止まりますが時は止まりません。
急がねば、やがて満ち潮に転じた潮はすぐに胸元まで達します。

全島が花崗岩で土などなさそうな島ですが、岩の割れ目に水が浸み、苔、草、そして木々へと成長します。

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島の東側、親休鼻から見た長島です。
我島は長島の陰に入って見ることができません。

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長島から海を隔てた、その西には米海軍海兵隊岩国基地があります。
訓練飛行の航空機が何度も上空を通過します。

ちなみに、長島山頂は88m、右に出っぱっている小山は我島です。

長島・我島アーカイブ
長島、我島のアーカイブ航空写真画像です。
左は、昭和22年、右は昭和50年、木々の緑は確実に増えています。
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