深江 いいとこ撮り 2/5

2015-05-21 083 
旧深江港の南側高台から深江港最奥部を望みます。

小型船の舫う港の奥に煙突が一本垂直に立ちます。

2015-05-10 082 
屋根から飛び出たように見える煙突は、かって深江港の象徴でもあった、お風呂屋さんの煙突です。

2014-10-29 096 
昭和40年代のころまでは、どの地区にも1、2軒のお風呂屋さんがあり、地域住民のすべてが集う社交の場でもありました。

ちなみに、江田島市内にあって各家庭ごとにお風呂がつくられ始めたのは昭和40年5月、広島太田川の水が海底送水管を通って、江田島町小用の前早世浄水場に送られるようになってからです。

それまでは各集落ごとに小川の水を溜めての簡易水道か、海水の混じる井戸水を汲み上げて使うほかに水を都合するすべはありませんでした。
各家庭の風呂桶に水を張るだけの水量をまかなうことは、とても、とても・・・(^_^;)でした。

以下は蛇足になりますが・・・
温泉浴や行水は昔から有ったでしょうが、お風呂の原形は、仏教ともに中国から伝来したサウナ形式(蒸し風呂)のものでした。
当初はお坊さんの身体を浄めるためのもの(儀式)でしたが、施しとしてお寺の浴堂を庶民にも開放、布教の広がりとともに各地に波及しました。

その発展形として考案された(東大寺大勧進職 重源 1121~1206)石風呂が瀬戸内一帯に普及し、一般庶民も気兼ねなく利用できるようになりました。
(瀬戸内には石風呂の地名が数多く残り、竹原市忠海 旅館岩乃屋では今も海岸の洞窟を利用した石風呂サウナを営業中です。)

江戸時代初期には、サウナ形式の大衆浴場「お風呂」のほかに、個人宅においては五右衛門風呂型式の首までお湯につかる「温」「薬湯」も広まりました。

大衆浴場がサウナ(蒸し風呂)形式から、現代のお湯(湯船)形式となったのは明治に入ってからですが、水の乏しい瀬戸内では、昭和初期まで蒸し風呂形式が主流だったようです。

2015-05-10 075 
正面から見るお風呂屋さんです。

湯上り客は二階座敷で、ビール片手に涼んでいったんでしょうね。
ときには、宴席に発展したり・・・(*^。^*)です。

2014-10-29 095 
廃業となってもう数十年は経過したようです。
100kgは測れる台バカリにも、奥の木製ロッカーにも白く埃が積もっていました。

2014-10-29 090 
玄関土間に置かれているのは、ローバーミニ1300?でしょうか。
お風呂屋の御主人、車好きだったんでしょう・・・(*^。^*)ね。

2014-10-29 084 
大きなお風呂やさんだったようですが、賑やかだった往時を残すものはありません。

2014-10-29 086 
男性客と目を合わさないよう、近所の女、子供はこちらの裏口から入っていたのかも???
ガラス戸に子供の喜びそうな切り絵が貼り付けてあります。

2014-10-29 087 
三角窓をもった車(トヨペットコロナ3代目?)です。
風呂焚き用の薪や古材をはこんだんでしょうね。

2014-10-29 088 
空高くそびえる煙突、お日様がぶつかる高さ・・・(^_^;)です。

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