中町 御山祇神社・大山祇神社

2)江田島町南部・高下大山祇神社 
中町が高田と接する北側の高台に高下(こうげ)集落があります。
その高下集落の人々が氏神と崇める大山祇神を祀る社が集落内に二社あります。

高下集落の中央、家々が庇を接する中に「大山祇神社」が建ち、高台にある高下集落へと向かう新道の入口の丘には「御山祇神社」が建ちます。

2015-11-16 049 
この「御山祇神社」は、高下集落へと登る新道(宇根山登山道)入口の丘の上に鎮座します。
社殿庇の下、中央には「折敷に縮三文字」愛媛県大三島町宮浦に建つ「大山祇神社」と同じ御紋が見えます。

2015-11-16 055 
晩秋の11月、境内の周りに植えられた桜の樹からは、朱に色づいた葉っぱがひっきりなしに舞い降りてきます。

2015-11-16 058 
境内に据えられた石板には・・・

御山祇神社由来
西暦一一八五年二月屋島の戦で源義経の軍に敗れた平宗盛は安徳天皇を奉じ壇の浦に向ふ途中、大柿町大君に立寄った時一部の将兵が落ちのびた。
その将兵が立て籠ったのが高下の山中であり私達の祖先である。
又の再起に想いを馳せながら培った行跡、狸城跡家敷田畑汗と涙の結昌の跡が今尚山中に残っております。
その先祖が狸城の岩穴に合祀したのが、山の神(大山祇大神)、大日如来、十一面観世音菩薩、の三神佛である。
後世世の中が安定するにつれて下へ下へと移動するにつれ、お宮を放置するに至った。
喜びにつけ悲しみにつけ先祖を供養し神や佛に通ふ心こそすべての道徳の根源であり、祖先が尊崇した守護神佛を祭り今世の喜びを悟ることこそ私達の務めであると思います。
ここに高下発祥八00年を記念し御山祇神社の再建を致しました。
昭和六十乙丑年霜月吉日
御山祇神社再建委員
発起人 片山守 岩田繁夫 堂野崎一男 山下貞夫 堂官唯一
岩田香風書

御山祇神社再建寄付者芳名
岩田繁夫 片山守 大一建設興業KK 堂官唯一 堂野崎一男 岩田良一 山下貞夫 堂野崎頼人 梅河内隆義 竹野内俊男 河賀早夫 沖元石材店 田中早苗 南郷花子 上河内要 中島勝 梅河内美敏 福井靖治 木下庄一 木下行義 木下勇 新宅正三 山下巧 堂野崎秀登 松井静馬 高田正明 楠政雪 山本馨 高田義明 久保田庄次 二井内文左ヱ門 堂官司 堂野崎実 堂野崎弘 堂野崎辰行 奥河内武人 奥田秋雄 河賀敏昭 片山里巳 竹野内義清 津島サトコ 梅河内若松 楠英雄 柳田章 北中積

木野本勝美 新宅文夫 日野本住人 岩田馨 岩田節 岩田正記 堂官猛 堂野崎悟 片山正 片山進 片平重登 立畑勝 奥河内勉 楠松雄 楠勝之進 柳田政美 山本忠男 前城源一 松原武 北中昭一 北中満 富樫良三 堂野崎昭 河賀庄平 河内正規 河内義数 片平司 中畠政夫 中島輝夫 藤本撤 胡麻田ソノ 御堂岡勝敏 平野力太郎 楠章夫 小神田俊夫 河西清子 高田信幸 藤本国雄 伊藤万次 堂下久一 堂野崎平 戸田初江 大下玉次 早稲本武雄

河賀健司 片平豊 片平卓 立畑保 立畑敏則 竹野内正義 竹野内俊彦 竹野内博之 高田輝明 高田忠男 中本石蔵 中本千世美 中本一義 中島一 梅河内研二 久保田鈴子 楠隆夫 柳田貞一 前城美智男 佐々木正身 木下勝 新宅勇夫 新宅守 新宅登 新宅オシモ 松原アキコ 木下キテ 片山豊 片山卓
・・・です。

2015-11-16 046 
建立時に植えられた桜も大きく育ち、春には薄桃色の雲となって丘を覆うことでしょう。

2012-12-13 002 030 
高下(こうげ)集落の中心に建つ「大山祇神社」です。

2015-04-23 103 
境内石板に記されたままに・・・

大山祇神社の由来
曰能美島誌山神有中村荒原或
曰所祭大山積命也
高下の祖先は古文書にある如く大山積の命をお祭りしていた我々の祖先に感謝
昭和六十年十一月十二日大三島の日本総鎮守大山祇神社より御分霊を受けて再建致しました。
昭和六十二年二月吉日 梅河内高義

大山祇神社再建寄附者芳名
山本正幸 山下巧 高田義明 山下貞夫 木下庄一 奥河内勉 堂野崎頼人 岩田繁夫 楠サダヨ 楠松雄 福井清治 松原武 山本馨 山井義広 山田勲二 山本悦男 加藤軍一 炭本晶利 宇田治 渡辺輝夫 大本一夫 平上利之 上田啓 重信政行 向井義雄 梅河内若松 梅河内辰男 梅河内美敏 梅河内敏博 梅河内修二 須川隆広

誤字脱字ありましたら・・・m(__)mです。

2012-12-13 002 035 
季節は12月中旬、高下集落の家々を結ぶ細道には手すりが付けられていて、それを利用して大根が干されていました。
遠くに霞むのは呉市の灰ヶ峰(736.8m)、江田島湾から吹き昇る風はまだ秋の風・・・(*^。^*)でした。

高下・大山祇神社 
昭和50年、国土地理院の空撮画像(中央が高下集落、が神社)です。
二つの社殿が建てられる、その十年前の画像です。
当時は高下を経由して宇根山(野登呂山541.8m)へと続く登山道(農林道)はありません。

その後に開通した宇根山登山道の8合目あたりに「寺屋敷慰霊碑」と彫られた大石が据えられています。
おそらくその辺りが高下部民の発祥の地、狸城を構え平家再興を願ったもののふの住処だったのでしょう。

ちなみに「高下」の語源は、高原の草地、田畑に適さない芝地を指す。 と、・・・です。

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