中町 軍艦利根慰霊碑・資料館 2/2

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「軍艦利根資料館」の入り口である引き戸の鍵は、国民宿舎「能美海上ロッジ」のフロントで管理されていていますが、見学者の多そうな日には前もって開放されています。

引き戸を開けて正面の天井に大きな舵輪が掛けられています。
重巡洋艦利根の舵輪だと思いたいのですが、???・???・???・・・です。

舵輪の由来についての説明は無く、「古沢(古澤?)鋼材株式会社殿」と手書きされた荷札が結ばれているのみです。

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ガラスケースに収められた時計と砲弾破片です。

手前の時計には「時計(軍艦利根)藤岡正作殿 能美町高田」、左奥は「時計(軍艦利根)日当音○○ 能美町高田」、右奥は「時計 古沢鋼材殿 江田島町」、右手前は「砲弾破片 木村新史郎 能美町鹿川」と書かれたプレートが添えられています。

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「霧笛 双眼鏡 中田信夫殿 能美町高田」、「喇叭(ラッパ)飯田義信殿 富山市水橋辻ヶ堂」とあります。

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「コンパス 古沢鋼材殿 江田島町」とあります。

コンパス(磁気羅針器)前面の水準器の中に「コンパス クリノメーター 大阪 ぬのたに せいき 株式会社 おおさか じゃぱん」の文字が見えます。

ちなみに明治の末ごろ、磁気羅針器に替わる航海用方位測定計器として、ジャイロ・コンパスが発明され、イギリスで建造された日本海軍の金剛(明治45年回航)にアンシュツ式のジャイロコンパスが搭載されたのが国内最初であると云われます。

日本では1918年(大正7年)に、東京計器製作所がジャイロコンパスの生産を開始、順次今までの磁気コンパス(磁気羅針器)から、モーターの高速回転を利用したジャイロコンパスに取り換えられ、昭和初期にはほぼすべての海軍艦船にジャイロコンパスが設置されたと云われます。

ただし、常用はジャイロコンパスであっても要所には磁気コンパスが置かれ、併用或いは予備として使用されていました。

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船で使われる舷窓とよばれる丸窓です。
古澤鋼材からの提供品ですが、利根で使用されていたものかは不明です。

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プレートには「水桶 能美町交通局」と・・・

その右にある磁気羅針器や航海灯は海軍仕様にも見えますが、仔細説明はありません。
町営の連絡船(中町、宇品航路)で使用されていたもの?かも??? ・・・です。

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プレートには「携行灯・碇泊灯・時鐘・テレグラフ・舷灯・・・古沢鋼材殿 江田島町」とあります。

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「晴雨計・霧中号角・碇泊灯・テレグラフ・・・古沢鋼材殿 江田島町」とあります。

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「工具(利根機関室)提供者 杉浦忠夫氏」とあります。

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「信号燈 藤田隆彦殿 能美町中町」、「霧笛 中田信夫殿 能美町高田」、「鍋 入福信雄殿 能美町中町」、右の木札に「軍艦利根 ほう炊所○○」の文字が見えます。

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「利根レイテ沖海戦ヨリ母港ニ帰投セリ S19.11.17 舞鶴着」

前列中央が重巡洋艦利根、第六代(昭和18年12月~20年1月)艦長の黛治夫大佐です。

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第三代となる、海上自衛隊「護衛艦とね」排水量2,000tのネームプレートも展示されていました。
「軍艦利根慰霊碑参拝記念 平成24年8月30日 護衛艦とね乗員一同」

「護衛艦とね」は、1,900トン型乙型護衛艦として住友重機械工業浦賀工場で、1991年2月8日起工、1991年12月6日進水、1993年2月8日就役、あぶくま型護衛艦の6番艦で、艦名は利根川に由来します。
この名を持つ日本の艦艇としては、旧海軍の防護巡洋艦「利根」1910年5月就役、排水量4,113t、そして利根型重巡洋艦である「利根」1938年11月就役、排水量13,320tに続き三代目の艦となります。

1993年2月8日、佐世保地方隊第39護衛隊に編入されました。

1997年3月24日、佐世保地方隊第26護衛隊に編入されました。

2008年3月26日、第16護衛隊と改称され、護衛艦隊隷下に編成替えされました。

2011年3月16日、第12護衛隊へ編入、佐世保から呉に転籍しました。

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2016年2月29日早朝、母港である呉港を後にし任務に赴く「護衛艦とね」です。

追 記 「 ビ ハ ー ル 号 事 件 」

昭和19年3月9日13時24分、インド洋洋上において、通商破壊戦任務を負う「重巡洋艦利根」による停船命令を嫌ったイギリス客船「ビハール号」やく7,000t、乗船者111名は自らキングストン弁を開き自沈を図りました。

曳航不能となったビハール号は乗船者が退避した13時33分、利根の主砲砲撃により撃沈。

全乗船者111名を捕虜として利根に収容、のち女性2名を含む46名を陸上に移送しましたが、食糧不足を理由に収容所より拒否された65名を船内に残し、次期作戦に向かう途の3月18日の深夜、公海上で彼らを65名全員を斬殺し海中に投棄しました。

敗戦後、戦犯として16戦隊司令左近允尚正少将は絞首刑、利根艦長黛治夫大佐は懲役7年の判決を受けるも1951年9月釈放、直接斬殺を指揮した高射長の石原大尉は逃亡し行方不明となりました。

上記は、軍艦利根資料館に寄贈されていた私本、「連合艦隊の精鋭・巡洋艦利根」 鎌田陽司郎 平成25年2月11日 を参考に要約しました。

乗船者人数その他の仔細な状況は公式文章と相違があるやも??? ・・・m(__)mです。
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