中町 鈴木三重吉文学碑

2)江田島町南部 鈴木三重吉文学碑 
中町の中心部を南北に貫く旧街道の、もっとも賑わったあたりに、「鈴木三重吉文学碑」の標柱が立ちます。

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標柱には「鈴木三重吉『千鳥』文学碑」「文学散歩・三重吉の叙情『千鳥』の故地」とあります。

旧街道に面して積まれた石垣は三重吉が逗留した廻船問屋下田家のものです。
ちなみに、この下田屋敷には明治7年から大正9年まで「中村郵便局」が置かれていました。

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敷地内には当時のお屋敷は残っていませんが、その私有敷地の一部が一般にも開放(あくまでも私有地ですので最大限の配慮が必要です)されています。

ちなみに、鈴木 三重吉(すずき みえきち)、1882年(明治15年)~1936年(昭和11年)は、広島県広島市中区紙屋町出身の小説家・児童文学者であり、日本の児童文化運動の父とされます。

1901年(明治34年)東京帝国大学文科大学英文学科に入学し、夏目漱石の講義を受けました。
しかし1905年(明治38年)23歳の時、神経衰弱を煩い静養のために大学を休学して、能美町中町の廻船問屋下田家で過ごしました。

この間に『千鳥』の題材を得て、1906年(明治39年)3月、短編小説『千鳥』を完成。夏目漱石の推薦を受けて雑誌「ホトトギス」の5月号に掲載されました。
以上、ウィキペディアからのコピペ・・・m(__)mです。

小説「千鳥」は、主人公の淡い恋心を能美島の情緒や風景を交えて空想した短編で、その内容からは明治時代後半の能美中村の様子を多く読み取ることができます。

たとえば、番船、馬、蜜柑、馬鈴薯、麦、平茎、鳥貝、嫁の皿、蟹、豆腐、饅頭、切芋、白木綿、カナリヤ、カンテラ、下駄、郵便、などなど・・・(*^。^*)です。

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敷地内に建つ石板には「鈴木三重吉作 小説千鳥 記念碑」とあり、さらに「親のそばでは泣くにも泣けぬ 沖の小島へいって泣く 三重吉」と、あります。
これは、能美島滞在中の心境を友人に書き送った手紙の一節です。

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さらにその奥には、「千鳥」で主人公が涙をこらえて足を洗ったとされる井戸がほぼ当時のままに残されています。

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当時、蜜柑や馬鈴薯を背負った馬が頻繁に行き来し、夜、店先にカンテラの灯る豆腐屋や饅頭屋があった通りを、一台の軽トラが静かに通り過ぎていきます。

三重吉も賑やかな処は嫌いだと、言っていたような・・・(*^。^*)です。

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