中町 麓城(堀城・亀山城・新蔵城)・旧石井屋敷

麓城・旧石井屋敷
能美町誌によれば、中町には麓城の他、堀城、亀山城、新蔵城と平家落人が隠れ住んだと云われる狸城が記載されています。

2015-11-11 099  
見浪川の中流から見上げた麓城のあった小山です。

2015-11-11 115 
城山のすぐ下までは農地ですが、そこから山頂に登る道は藪となっていますし、登っても山頂からの見晴らしはききそうにありません。

この麓城は、堀城(二宮神社)の後詰めであったと云います。

中町には、麓城、堀城の他にも、亀山城が中村八幡神社におかれ、その後詰めとしては真道山に新蔵城が築かれていたと云います。

亀山城は天平20年(1365)河野通堯をかくまった中村重郎左衛門尉久枝の居城であったと云われます。

その後、戦国の世となり、堀城を水軍城、麓城を後詰めとして能美縫殿允仲次が大永5年(1523)に入城したと云われます。
さらには、児玉就忠 天文15年(1546)、能美左馬亮 弘治元年(1555)、大野次兵衛 天正10年(1582)、 松田善之進 天正19年(1591)と、この時代には目まぐるしい城主の交代がありました。

2015-11-11 102 
城山の廻りの畑には沢山の石が積まれています。
もとはお城の防護用に使われていたものなのかも???・・・(*^_^*)です。

2015-11-11 111 
麓城山の中腹から見た中町港、その先に能美海上ロッジ、さらには江田島町鷲部、遠くには呉市の最高峰である灰ヶ峰の頂上も見えます。

使ったかどうかはともかく、のろしとかの煙は良く見えそう・・・(*^。^*)です。

2015-11-11 062 
旧石井屋敷の石垣です。
見浪地区の旧道沿いに大きな石を正確に組み上げてつくった、立派な石垣がのこります。

たまたまその近くでお会いした、昭和初期生まれであるご婦人の話では・・・

私が子供の頃、爺さんに聞いた話であると前置きし、このお屋敷にはお白洲の場として使われた大きな石が敷かれており、時どき広島から御用船を仕立てたお役人が立ち寄って、「遠山の金さん」みたいな感じで、訴状や科人の吟味が執り行われていた・・・と。

屋敷内には牢屋もあったそうで、まあ、今でいう、留置所や簡易裁判所のような業務が行われておったようじゃ。
「悪い子は牢屋に連れていく」と、よう脅されよった・・・と。
その当時の立派なお屋敷は取り壊されてしまったが、現在も縁者の方がお住まいである。・・・とか、(^_^;)です。

2015-11-11 064 
石垣の中央あたりにはめ込まれた、特大の飾り石(約2m×1m)です。
おそらくは江戸中期以降の造りだと想像しますが、それにしても立派な石組です。

スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
02 | 2017/03 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
検索フォーム
カテゴリ
リンク
最新記事
月別アーカイブ
プロフィール

Author:わきです
FC2ブログへようこそ!