中町 津島織物製造・津田酒造・御堂岡呉服店

中町小学校の廻りには、戦前の匂いがする建物が沢山見られましたが、追々に最新式の太陽光発電パネルを乗せた、オール電化住宅に建て替えられています。
数少なくなった歴史を刻む建物としては、小学校の裏手に島津織物、北側には旧中町郵便局舎、東に津田酒造、東南に御堂岡呉服店、少し離れた南に元広島警察署第三邏卒分屯所が残ります。

中町小学校のすぐ裏手、細い路地を挟んで島津織物製造株式会社の工場があります。

工場への門を入ってすぐ左に事務所風の建物が見えます。
この建物、平屋建てですが、明治7年に作られた広島警察中村邏卒分屯所の造りにどこか似ています。
ちなみに、島津織物製造さんのHPには・・・
明治23年
津島織物工場 創業
創業者 津島小太郎木綿織物を始める
大正年間紗織りのふすま紙の製造を開始
昭和14年
紙布の製造を開始
帽帯の生地を生産
昭和23年6月2日
津島織物製造株式会社を設立
設立者 津島芳松
昭和35年
紙布壁紙製造工場を新設
三代目 津島澄人本格的に紙布壁紙の製造を始める
昭和44年4月
四代目 津島一登 就任現在に至る
と、あります。
津島織物の創業以前から、この地域では綿花栽培が盛んに行われており、さらに家内工業として多くの家庭で木綿織物が作られていました。
この地域で生産された木綿織物は広島はもとより遠く大阪まで運ばれており、品質、生産量にばらつきがないことから、当時すでに能美木綿として広くブランド化されていました。
また、そのような手先の器用な女子労働力を当てに、明治30年、大柿町大君に朝日紡績が設立されました。

江田島市広報に掲載された、津島織物の工場内部の画像です。
製造ラインを見学したことはありませんが、おそらくは、こより状に捻った細い紙を縦横挟んで一枚の紙布とするのでしょう。
触感や風合い、吸湿性に優れており、主な用途は室内の高級壁紙や襖紙として、丈夫なことからバッグや帽子、さらには和服の素材としても使われたとか・・・(*^。^*)です。

前回訪れた折には、ガチャガチャと織機の音が風に乗って聞こえていましたが・・・。

中町小学校のすぐ下に、白壁に焼き杉板を巻いた巨大な長屋蔵があります。
これらは津田酒造さんの酒蔵です。

長大な酒蔵を守る庇の角で、真上から射す太陽光がプリズム色に分解します。

残念ながら今は営業されていない様子???ですが・・・
津田酒造さんは、清酒「島の香」を全国の飲んべえに届けた、能美を代表する名酒造です。
近年になり島内の耕作放棄されていた田畑を、再度耕す気風も生まれています。
島育ちの優良米を使い、新たな「島の香」が香しいく島風に漂うことを期待しています。

いらかの上に突き出た煙突「清酒島の香」、まだまだ・・・大きく伸びます。

たまたま入り込んだ細い路地。
えぇ~~~っ。 これってアーケード???。
市内に道を一本覆うアーケードは、たぶん、此処だけ・・・(*^。^*)です。
お店の看板は見当たらないのですが、グーグル地図には御堂岡呉服店と表示されます。
たしかに。
アーケード入口に架かる看板に「全国きもの指導者協会認定 山根洋子きもの着付教室 能美分会??」とあります。

もう一つビックリしたのは、アーケードとショーウインドーとを結ぶ部分がアール状にカーブさせてあることです。
先の、警察邏卒分屯所や、島津織物の事務所とも似ています。
能美町誌にいう、ドイツルネッサンス様式??? ・・・。
あるいは、中町の大工さんが発案した、能美ルネッサンス様式かも?・・・(*^。^*)です。

いつまでも残しておきたい、すてきなお店です。
ちなみに、隣町の鹿川にも「御堂岡呉服店」さんがありますが、同じ系列のお店なのか?私は存じません・・・(^_^;)です。
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