中町 古地図

2012-08-25 001 028 (2) 
画像は能美町誌に掲載の「中村絵地図」(芸藩通志1825年)をコピペしたものです。

近代測量の原点といえるのは文化3年3月(1806)の伊能忠敬一行による、能美島、江田島の測量によるものですが、それらの機密資料を一般人が目にすることはできず、文政8年(1825)の「芸藩通志」に掲載すべく、文政2年(1819)、その元図となる「国郡志御用につき下調書出帳」に提出した能美島や江田島の各村々の絵地図が、当時村民が知ることのできた、もっとも細密な地図であったろうと思います。

ちなみに、寛永15年(1638)浅野広島藩による領内蔵入地の地詰(検地)が行われ、能美島東に6、能美島西に10の村が、指定されていますので、役所には上記鳥瞰図風な絵地図以上に詳しい地形図があったと思いますが、一般の村民がそのような地図を見たり、あるいは作成などしたら?・・・どえりゃ~事になったでしょう?・・・(^_^;)ね。

中村古地図(全JPEJ) 
中村絵地図の不明瞭な文字や線を打ちなおした改正地図ですが、読み取りにく部分はかなり適当に推測しアレンジしていますので、改悪となった部分もあります。

より正確を期する場合は、原本である能美町誌、あるいは芸藩通志にてご判読をお願いします。

中村古地図B2 
上図左半分を拡大したものです。

中村古地図(北半分) 
右の半分を拡大したものです。

中村 1947 12 15 
敗戦まもない、昭和22年12月15日の中村(中町)の航空写真です。

中田湾には被弾着底した重巡洋艦利根の姿もあります。
さらには、埋め立ての海岸線などは江戸末期の芸藩通志図と同じように見えます。

画像は国土地理院アーカイブからのコピペ・・・m(__)mです。

国土地理院 中町 
最新の国土地理院地図のコピペです。

近年になり、見浪や市役所付近に追加の埋め立てが完了しましたが、建設重機のない江戸時代、人力のみで、ほぼ現在の地形に等しい干拓事業が成されていたことには驚きを感じます。

昔の人は、ほんとにエライ ・・・(*^。^*)です。
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