鹿川 勝善寺

4)能美町・沖美町南部 勝善寺 
鹿川の中郷地区、旧道から少し山手に登った高台に浄土真宗本願寺派「勝善寺」が建ちます。

寺誌によれば、もとは法林山慈恩寺と称す禅寺として廿日市市玖島(村)にあり、のち真宗に改宗(1506年)、勝善寺の寺号を得ました。
明治12年3月、当時説教場(中村徳正寺)のみで寺院の無かった鹿川(村)へ移転、藁ぶき民家を買い取って布教活動をはじめました。

昭和9年4月、火災により焼失するも、玖島より持参したケヤキ造りの薬師如来像のみは無事に持ち出すことができました。

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昭和初期に建てられたものとは思えぬ風格を持ち、威厳と落ち着きのある山門です。

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山門をくぐりますと、本堂の大屋根が大きく庇を広げ眼前を圧倒します。

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合掌。
ふか~~~く、一礼。

余計な付属物や備品などを一切置かず、手入れの行き届いた境内や本堂には、禅寺のような雰囲気を感じます。

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奥を透かして見ても、当然、塵一つ見つけることはできません・・・(*^。^*)です。

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頭貫の木鼻には獏が深く彫り込まれています。

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白壁のまぶしいお経堂の入り口は、重厚なな唐破風で守られています。

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昭和初期に植えられたであろう老桜のむこう、きっちりと組まれた花崗岩の台座には、鳳凰が羽を広げたようにも見える一廻り大きく造られた瓦屋根を被せ、気品漂う鐘楼が建ちます。

その鐘楼のそばには、戦没者慰霊碑と刻まれた巨大な石碑が鹿川の町を背後にして建ちます。

戦没者慰霊碑
明治二十七年日清戦争以来数度他国ト戦火ヲ交エ此間同郷ノ士許多国難ニ殉セラレ平和日本建設ノ礎石トナリタル。
各位ノ芳名ヲ後世ニ傳エ之ヲ記念センガ為慈ニ慰霊碑ノ建立ヲ見ルニ至リ多年ノ願望成就ス。
英霊ノ永久ニ安カナランコトヲ念願ス。
昭和三十年十月二十三日

鹿川町建立
曽根田弥太郎書

と、一礼・・・m(__)mです。

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山門の破風に付けられた重厚な蕪懸魚(かぶらげぎょ)です。

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高台から見た本堂の側面です。
大入母屋破風(おおいりもやはふ)と呼ばれる様式で作られており、これは寺社建築でよく用いられます。

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密集する家々の甍のなかにあっても、大きさで他を圧倒して勝善寺本堂の大屋根が輝きます。

鹿川湾へと延びる山尾根の斜面を削り、高い石垣を築いた境内は、地域住人の協力があって造られました。
本堂を支える大石垣の下に一つの石碑が建ちます。

本堂再建記念
田と畑を道に遺して 永久に 一つは世の路 一つは子乃道

参道寄附者
故津田友次郎 相続者喜次郎
昭和十三年八月吉辰建之

と、・・・m(__)mです。
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