鹿川 薬師堂

4)能美町・沖美町南部 薬師堂 
鹿川の郷地区、国道487号線のすぐ傍に鹿川薬師堂が建ちます。

2015-11-10 030 
薬師堂の鎮座する小丘は、鹿川湾の干拓事業が本格化する江戸時代の中頃までは、砂州で陸と繋がった小島で、砂浜に引き上げた小舟を境内から垂れる松の枝に繋いだと云います。

2015-11-10 029 
薬師堂の正面です。

境内には由緒書きが立てられており

薬師堂
江戸時代中頃の話、ご本体は山根氏の漬物石であったという。
その石は、漬物用に重ねておかれていても毎朝下におちていて、不思議に思っていたが、ある夜夢枕に立ち「私は薬師如来であるから、祀ってほしい」とお告げがあったので、早速郷地区の人達に話して皆んなで今の場所にお堂を建て、これをお祀りしたと伝えられている。
以来、毎年旧1月8日に子ども達が中心になってお祭りが行なわれている。
古く明和年間(1764)頃までは、この辺りまで海であって、境内の松には舟がつながれており、大原村の祭礼には薬師堂から舟で行ったとも伝えられている。
(鹿川国郡志御用付下志らべ書出し帖による)
昭和58年1月改築

と、あります。

2015-11-10 025 
昭和58年に改築されたお堂の正面、アルミの引き戸をそっと開けて、合掌。

中央に置かれた観音開きの厨子に御本体様が衣をまとわれて安置されています。
由緒書きに漬物石であったと云われるとおり、衣の中は角ばった普通の石?、いや恐れ多くも薬師如来様にあらせられまする。

ふか~~~く、一礼。

厨子の左右には、中国新聞の大正12年3月5日の記事「佐伯郡能美島紹介号」が立て掛けられており、新聞紙面には能美島の風土や郷土名士の紹介記事が載せられています。

さらに、「本四国藤井山岩本寺御霊砂」と書かれ、上面に砂を乗せた六角柱が台上に置かれています。

2015-11-10 023 
木立の枝葉に囲まれ視界はききませんが、長年にわたる埋め立てで今は遥か遠くに退いた海岸からザワザワと波の音が聞こえてくるような???

いや、木の葉が風に揺れる、そのざわめきかも??? ・・・(*^。^*)です。

2015-11-10 020 
お堂の横には、お地蔵様も置かれます。

2015-11-10 031 
お堂の最上位に乗る宝珠、この位置からなら遠くの海岸線もその先の広い海も、人々の病苦も心の奥に巣くう闇だって、み~んな、光背に透かして見ることができかも?・・・

ちなみに、薬師如来とは・・・
薬師如来が日本に伝播された時期ははっきりしませんが、鑑真が唐招提寺を創建したのが天平宝字3年(759年)、鑑真の死去後弟子の手により唐招提寺金堂が建ち(西暦781年頃と云わる)、堂内に盧舎那仏、薬師如来、千手観音、梵天、帝釈天、四天王の像が建てられたと云われます。

薬師如来の正式名は薬師瑠璃光如来で大医王仏とも呼ばれ、人々の病気を平癒し身心の健康を守るなど、現世利益性が強く、かつ難しい宗教教義を求めなかったこともあって古くから多くの信奉者を集めました。

以上、ネット上資料のつぎはぎ・・・m(__)mです。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
02 | 2017/03 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
検索フォーム
カテゴリ
リンク
最新記事
月別アーカイブ
プロフィール

Author:わきです
FC2ブログへようこそ!