鹿川 龍神社・お地蔵様

龍神社・地蔵仏 
江戸時代中期に書かれた「能美島志(宝暦13年)1763年」によれば、当時の鹿川村には

大将軍社 鹿川村にあり、毎年9月11日これを祭る。
薬師堂 鹿川村宮地にあり。
阿弥陀堂 鹿川村古地蔵堂の跡にあり。
堺神 鹿川村と飛渡瀬村の堺山上にあり。
今宮 鹿川村郷中にあり、未だ初め何神を祭りしを知らず。
顕徳寺 鹿川村郷中にあり。
佛乗寺 鹿川村原にあり。
鬼崎城 鹿川村海岸にあり、未だ何人の築く所なるやを知らず。
若宮 鹿川村海岸にあり、未だ初め何神を祭りしを知らず、岸上に砦あり、土人これを左門館という。

が、記載されていますが、大将軍社と薬師堂の他はその後の詳しい掲載書がなく、その故地を尋ねることができませんでした。

以下の社仏が「能美島志」記載の古い寺社仏と、どのようなかかわりがあるかは不明ですが、鹿川地区を徘徊中に目にした今世の社仏を列挙します。

2015-08-07 137 
鹿川の水源池を支える堤防の北側に小さな社があります。
御名は見えませんが、水源池を守る龍神様あるいは水神様の社であろうと思います。

この鹿川水源池が完成したのは、昭和16年(1941)です。

戦雲急を告げるなか、江田島町本浦にある海軍兵学校の生徒、職員の人数はうなぎ上りとなり、生活飲料水を古くからの江田島奥小路水源だけで賄うことはできなくなりました。
そのため新たな水源として、この鹿川水源と沖美町三吉の三高水源を開発することとなり、江田島町矢ノ浦の山上に濾過池、配水池を作るとともに、その間を繋ぐ送水管の敷設を突貫で行なうこととなりました。

敗戦後しばらくは連合軍への給水施設として使用されましたが、のち鹿川町に移管され、現在は江田島市企業局水道施設課が管理をしています。

2015-08-07 138 
この龍神社?水神社?、の由緒は不明ですが、古来より清き水のあるところはすべて龍神様のお住まいになる処として、たとえ祠や社はなくとも人々に敬われていました。

子供に対しては、竜や蛇、河童や猿猴の住む処であるから、その場を汚したり、悪さなどしないように教えていました。

ところが、どうしたことか近世の池や沼地は手入れがされないだけならまだしも、外来生物が派手に泳ぎまわり、家電や廃材の投棄場所ともなっています。 

近年の頻繁なる豪雨災害は龍神様のお怒りのしるしなのかも・・・m(__)mです。

2015-08-07 140
この鹿川貯水池がいつまでも、清らかであることを願います。

深く、ふか~~~く、一礼 ・・・m(__)mです。

2014-10-26 120 
中郷の高台にある勝善寺から、さらに小道を登った先にお地蔵様が置かれています。
仏具は整頓され季節の花も生き生きと・・・(*^。^*)です。

2015-12-13 032 
文久新開、後浜調整池の西の端の大矢へと続く道路脇に、赤い寺幕を垂らした祠の中でお釈迦さまが立たれます。

2015-12-13 033 
祭壇は、こぼれんばかりの菊の花・・・(*^。^*)です。

2016-05-26 112 
東浜の南の端、旧道の脇に彩色されたお大師さまの立像が置かれています。

海風で喉が渇くのを癒すためでしょうか?、たくさんのペットボトルが供えられ、強風にも耐えられるように、屋根が補強金具で増し止めされています・・・(*^。^*)です。
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