鹿川 川 ( 永田川・田の上川・郷川・才越川・中郷川・小鹿川 )

永田・郷・才越川地図c 
鹿川地区には長年にわたり鹿川湾に土砂を流し込み、干拓地造成の元となった永田川(えいだがわ)水系と小鹿川(おがのかわ)水系があります。

2015-12-05 107 
田の上川に注ぐ一筋の支流です。

自然石を積み上げただけの細い流れですが、脇に広がる田んぼに何百年も清水を供給し続けた小川です。
長年放置され、雑木林となってしまった田んぼの脇をだれに利用されることもなく、たださらさらと流れていきます。

2015-06-23 048 
才越川の下流です。
才越川は水源としての水量を多く期待できるだけの広い源流域を持ちませんが、この付近の川幅はとても広く造ってあります。

水を流す川としての働きとともに、渇水期には水を溜める貯水池の役をも兼ね備えた一石二鳥となる設計です。
水不足に悩む先人の大きな知恵で造られた、鹿川の文化遺産?なのかも・・・(*^。^*)です。

2015-11-10 105 
大将軍社の北側を流れ下る郷川です。
急な流れを少しでも抑えるため、川底には石がはめ込まれています。

2016-05-26 101 
真道山を源流とする、永田川、郷川と、宇根山山系を水源とする田の上川の清水を集め流れ下る永田川の中流部です。

この付近は江戸時代中期以前の干拓地です。
勝手気ままに流れ下っていた、永田、郷、田の上の流れを人為的に一つにまとめ、灌漑に適した管理された流れとなっています。

2015-03-20 298 
才越川と永田川との間に挟まれた狭い土地に、もう一本の水路が流れます。
何のために作られたのでしょう?

想像ですが、大正の頃までは当地でも盛んだったと云われるサトウキビ栽培で、収穫したキビから糖液を絞り出すために必要な石臼を回すための水車の動力源としての水路???・・・(^_^;)かもです。

2016-05-26 106 
江戸時代中期(1769年の頃)のころ、干拓用防潮扉として南蛮樋が設置されていたとされる場所です。

ここで、左の才越川、水車用?水路、永田川とが合流します。
幅広だった才越川の出口は1m幅に狭まり、水路の高低差もあって、素人考えの及ばない不思議な合流点となっています。

2015-03-20 293 
永田川の下流部です。
この一帯は文久新開とよばれ、江戸時代末期の1860年代から干拓事業が始まったとされます。

2015-06-23 086 
永田川の最下流部、調整池への接続部です。
画像中央部、木立の向こうに移転復元された「南蛮樋」が説明版とともに設置されています。

現在では南蛮樋に代わり、電動モーターによる大型ポンプでもって水位調整がおこなわれています。

2016-05-26 083 
中郷川と小鹿川の合流点に架かる前浜橋です。

干拓地にほとんどの用水を供給した中郷川は幅50cmの道路側溝となって小鹿川までたどりつきます。
右の大きな流れが小鹿川で、鹿川水源地からの余剰水が流れ下ります。

ちなみに、この前浜橋は大原から小古江、鹿川を縦断して、中町へとつなぐ旧道の要所でした。

2016-03-25 057 
前浜橋の下、鹿川水源からの余剰水に遊ぶアオサギです。

2016-03-25 051 
中郷川と合流し、前浜橋の下をくぐり抜けた小鹿川は干拓地の東側を潤して、鹿川湾へと流れ下ります。
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