鹿川 鹿川漁港(東浜・大矢・後浜)

4)能美町・沖美町南部 鹿川漁港 
鹿川地区には南に向かって大きく口を開く鹿川湾があります。

湾奥の浅瀬は古くからの干拓事業により農地化されましたが、湾の両側(東と西)は切り立った崖が多く平地は僅かです。

2016-05-26 078 
鹿川湾東側に位置する東浜地区の崖下にあった砂浜を埋めて道路を通し(のち国道487号に昇格)その海側には超モダンな外観をした鹿川漁業協同組合の庁舎ビルディングが建ちます。

能美町誌によれば、幕末のころより盛んとなった煮干し(イリコ)作りにより、明治15年の東京全国水産博覧会で、鹿川村の鈴木雛右衛門氏が褒賞を受けたとあります。

のち、明治34年の漁業法交付にともない、明治35年10月9日に鹿川漁業組合が設立されます。
さらに、昭和26年に大矢地区と合併、あらたに鹿川漁業協同組合となって現在に至りますが、組合員数は200名を超え、広島県下でも第三位の規模を誇る大世帯でした。

当時5t未満10馬力以下の動力船を使用した延縄や一本釣り、地引網なども盛んでしたが次第にすたれ、昭和40年代には高性能化した漁船をもって愛媛県境でのエビ漁も行われました。

戦後から一貫して漁労の中心をなしていたのは、底曳網漁とイワシ網漁でしたが、現在底曳網漁は資源枯渇状態となって低迷、他にもクルマエビ、鯛、ウマヅラハゲ、ハマチなどの養殖、定置網漁も試みられましたが大きな成果は得られませんでした。

現時点で最も活気があるのは昭和30年代からの孟宗竹を利用した筏垂下式によるカキ養殖事業で、次にチリメン・イワシの巻き網漁(バッチ網漁)、小型底曳網漁(底生魚・ナマコ・エビ・トリ貝など)の他、蛸壺・イカ籠・アナゴ漁(はえ縄・筒)、刺し網漁、一本釣りが後に続きます。

2016-05-26 031 
鹿川漁業協同組合庁舎の裏にある旧堤防(昭和中期の頃の?)です。

近年、さらに沖へと大きく埋め立て、新東浜漁港が整備されましたので今は無用となったコンクリート堤防です。

2016-05-26 065 
東浜漁港に造られたスベリ(船を陸に引き上げ、船底修理や塗装などを行う施設)に新鋭の小型巻き網漁船が引き上げられていました。
船底はきれいに磨かれ、赤い防汚塗料が鈍く光ります。

点検修理も終わり、ペンキも乾いたようで、運良く船を進水させる場面に立ち会うことができました・・・(*^。^*)です。

2016-05-26 068 
陸上から張っていたワイヤーを徐々に緩め、船を乗せていた架台ごと海中へすべり落としていきます。

使用状況にもよりますが船を海上保管した場合、年に1,2回は船底点検、カキ殻やフジツボの除去と船底塗装のためにスベリに引き上げる作業が必要です。

不精な方はレジャー船といえどオーナーには、ならないほうが・・・(^_^;)です。

2016-05-26 059 
年季を重ねた小型底曳き網漁船です。
船首には不思議な模様が描かれていますが、そのいわれについて書かれたものがほとんどありません。
図柄は、唐草、波、目、竜、鳥などを図案化したもののように見えます。
装飾理由としては、魔除け、豊漁祈願、船主識別、飾り、船大工や造船所の識別などが思い浮かびますが確証はとれていません。

私的な想像ですが、多くの船には神棚がしつらえてあり、分霊された神様を祀りますので、その神様の乗る船は海に浮かぶ神殿である。とすれば、陸上で見る神社神殿と同じように飾り模様を取り付けても良いのでは、しかも海にまつわる図案で・・・(*^。^*)です。

2016-05-26 032 
桟橋にあげられている黒いパイプ状のものは、アナゴ漁に使うアナゴ筒とよばれるものです。
延縄状にロープに取り付けて海底に沈め、アナゴが筒の中に仕掛けた餌におびき寄せられるのを待ちます。

2015-05-13 053 
東浜港とは対岸に位置する大矢港です。
シラスや小イワシを狙う巻き網(パッチ網)船団が係留されています。

巻き網船団は通常4隻(巻き網船2隻・警戒船1隻・運搬船1隻)で編成されます。
小型の高速警戒船はその機動力をいかして魚群を探知し巻き網船に通報、巻き網展張中(漁労中)は他船が近づかないよう周囲の警戒も兼ねます。

高馬力の巻き網船は2隻で協力し巻き網を扇形に展張し、魚群を大きく巻き込んで網に誘いこみます。
魚群の入った網の入り口を徐々にすぼめ、長く伸びきった網を乗員総出で巻き上げます。
揚収したシラスや小イワシは輸送専用船に積み込み、鮮度を落とさないように陸上の加工場へと全速力で運びます。

2015-03-31 091 
大矢沖のカキ養殖筏です。
カキ筏の横に付けられている水上ハウス?は、養殖準備をする作業小屋です。

2015-05-13 030 
大矢港の近くに、ナマコの天日乾燥場があります。

干しナマコの製造法は古くより(古事記に記載)知られていましたが、江戸時代には俵物と称され干しアワビ、フカヒレと共に、対中国(清)貿易の重要産品とされていました。

近年の中国経済発展にともない、ふたたび干しナマコの価値は上昇しつつあるといわれます。

2015-12-13 014 
南中した太陽光を海面に反射し、キラキラとまぶしい後浜港です。
水深が浅いので、小型のレジャー船が多く繋がれています。

2015-12-13 009 
浅瀬の多くが周りをコンクリートで囲われ、陸地化されましたが、そんな中、鹿川湾内で唯一?残った砂浜があります。

多分もう使われることはないだろう小舟が一艘、寄せる波とひたすら戯れているだけ・・・です。
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