高田 間所川・原川

高田 川・池 
高田地区の中心部を抜ける空川は原川と間所川の流れを取り込んで、江田島湾に注ぎます。

s-DSCN7710.jpg 
間所川の上流部です。
昭和の後期まで、両岸はすべて黄金色の稲穂に埋め尽くされていましたが、平成に入りセイタカアワダチソウの黄金花で埋められ、さらに進んでクズやススキの原にと・・・です。

ちなみに、源流はさらに山深くへと伸びますが、道は雑木に埋もれ近づくことはできません。

s-2015-07-28 196 
人家近くになるとしだいに川面が見え始め、サラサラと水の流れが聞こえてきます。

s-DSCN7696.jpg 
中流域に入りますと、あきらかに人の手が感じられます。
年に数度は区民総出の川掃除がなされている様子です。

高田地区の川には他所で見るような灰色をした塩ビ管をまったく見ません。

塩ビ管の発明は計り知れなく有用で画期的なことではありますが、零細な農家が共同作業によって辛うじて農業生産を維持している地域においては、個人個人が塩ビ管により簡単に「我田引水」をすることになり、共同作業でなければ不可能な水源や水路の管理、農道や路肩の整備などに無関心となり、ひいては地域共同体の崩壊に繋がります。

「我が家はべつに農道を利用しなくても家の周りが農地だし、水は我が家の裏山から塩ビ管で引きますので、利用することのない農道の整備や川掃除には参加しません。」って、ことに・・・(^_^;)です。

なにより、川岸を数十本の「我田引水」用の塩ビ管がのたうつ姿はとても醜く、それはもう川じゃないし・・・です。

ちなみに日本で塩ビ樹脂が生産販売されたのは1941年、塩ビ管が普及し始めたのは1951年頃だといわれます。

s-DSCN7693.jpg 
田んぼはほとんど見なくなりましたが、手入れされた川からの清水を利用して、サトイモやダイコン、小菊などの花き栽培がおこなわれています。

s-2015-04-23 142 
庭の木々を潤して・・・

s-2016-08-27 090 
間所川は個人宅の庭の中央を分断して流れます。
原川とはこのすぐ先で合流します。

s-DSCN7753.jpg 
原川と合流した間所川は、この地点で空川に合流します。

s-2015-07-28 050 
原川の源流付近から見た、カキ筏の浮かぶ江田島湾です。

源流付近のわずかな清水を利用して、ごく近年まで田んぼ(標高約180m)がありました。
高田地区の語源になったかも?の高地に作られた田んぼです。

宇根山の東側山腹、中町から高田にかけ標高200m付近以下で傾斜が緩くなる河岸段丘的?な地形となっています。

この緩くなった地形と、その上部に乗る古生層(玖珂層群)から染み出す水と養分を最大限に利用して多くの畑や田んぼが作られました。
海岸部の干拓が進む以前から宇根山東側山腹には江田島市内では稀な高地集落、高下、畑、宗崎の開墾が始まっていました。

s-DSCN7685.jpg 
原川源流からの水量は少なく、農業全盛のころにはほぼすべての表層水は農地に吸収され、原川には大雨で溢れた余剰水のみが流れ下っていた時期もありました。

s-DSCN7686.jpg 
原川の細い水路は、家の土台下や庭の中を蛇行して通り抜け、この先で間所川と合流します。

大量の生活排水が流れ込むようになり、コンクリートで塗り固められた排水路と変わる前は、原地区の人々にとってもっとも大切な天からの恵みであり命の絆でした。

いま下水道の整備が進み、まさに再び原川の清水が天の恵みになろうとしています。
土手に植えられた花木や草花がその恩恵を真っ先に感じ始めています・・・(*^。^*)です。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
検索フォーム
カテゴリ
リンク
最新記事
月別アーカイブ
プロフィール

わきです

Author:わきです
FC2ブログへようこそ!