高田港 石船(新栄丸・日栄丸・共栄丸)

高田港砕石運搬船 
画像はグーグル2014年11月4日撮影の高田港です。

高田港には3隻の砕石運搬船(石船)「第二新栄丸」「日栄丸」「共栄丸」が舫ってありました。

この3隻がいつごろまで現役で稼働していたのかは不明ですが、日本の高度成長期である昭和30年ごろから、平成へと変わる前までは瀬戸の海を東へ西へ、重い砕石を目一杯に積み海水が木造甲板を洗うのをものともせずに全速力で走り回ていた石船船団が存在していました。

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「第二新栄丸」です。
要所を鉄板で補強されてはいますが、生粋の木造石船です。

石切り場で切り出した砕石を船橋の前の平らな甲板が海水に浸かる寸前まで満載し、全速力で埋め立て地に向かう石船船団最後?の生き残りです。

埋め立て地の砕石投入ポイントに到着するや、すぐさま甲板上のもっとも大きな砕石にワイヤーを掛けクレーンで持ち上げて左右に振ります。
その反動で船は大きく傾き、甲板上の砕石は一気に海中へと落とし込まれます。

反動が弱ければ甲板の砕石をうまくポイントに落とすことができませんし、強すぎれば大石もろとも一瞬で転覆です。

後には分業や共同経営もありますが、基本は夫婦で船長と機関長となって石材を運搬し、父母や兄弟子供が地主から借り受けた浦々の石切り場でダイナマイトを使った砕石作業をおこなうという、危険でそのうえ資金力もない零細な家族経営、只々深い家族愛と度胸一本だけでなり立つ生業です。

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長い年月を目いっぱいに働いたのでしょう。

熟練の船大工さんが最大の強度で仕上げた船体も、ギシギシ、ガタガタ、ボロボロに・・・m(__)mです。

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船首に描かれた模様には魔よけの意味があるといいます。

おそろしく危険な航海を数千、数万回と乗り越え、無事この港に帰ってこれたのですから、魔よけのご利益は絶大だったようです。

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これだけのダメージを受けているにもかかわらず、まだ船内に海水が入り込む僅かな隙間もありません。

画像は2014年10月16日、私がこの石船、第二新栄丸の雄姿を見た最後でした。

ちなみに、山田洋次監督制作(1972年)の映画「故郷」では倉橋島を舞台に石船による砕石運搬を生業とする家族の様子が、当時の瀬戸の穏やかな風景とともに深く鋭く描かれています。

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岸壁に繋がれた「第二新栄丸」の他にも、沖へと延びる浮桟橋には戦友である「日栄丸」と「共栄丸」が舫ってあります。

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手前に繋がれている「日栄丸」です。
木造船体の周りすべてを鉄板で覆い補強がされています。

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甲板上は搭載した石材が大波や船の進路変更の動揺で滑り落ちないよう、食い込みの良い木造のままとなっています。

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日栄丸の船橋です。
分厚い踏板が一枚、甲板と船橋とをつないで渡されています。

他所の港で船を岸壁に繋ぐ場合は岸壁との間をこの踏板一枚だけで繋ぎます。
明りの無い夜中の2時3時、たとえ一升、二升を飲んでふらつきながらでも阿波踊りの要領でバランスをとり、ヨイヨイヨイって渡り切ります。

落ちたら三途の川(海)・・・(^_^;)です。

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沖側に繋がれた「共栄丸」、まだ十分に現役復帰ができそうです。

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日栄丸とは姉妹船のようで、船橋の造りもそっくりです。

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共栄丸の船橋部分です。
手すり部分の支柱、凝ってますねぇ~~~。

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最後部に梯子が取り付けてあります。
まさかその上がサンデッキってことはないと思いますが・・・(*^。^*)です。

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2015年6月の高田港です。

「第二新栄丸」が舫ってあった場所にはなにもありません。
満ち潮で小さなさざ波が寄せるだけです。

浮き桟橋に繋がれていた「日栄丸」も「共栄丸」も・・・・・・・です。
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