岡大王 天満宮(しるごき天神)

s-グーグル岡大王・天神社 
江田島市内で唯一の天満宮である「しるごき天神」は、沖美町大王の王城と呼ばれる岬の上に鎮座します。

古来、大王(大生)は、西能美の「中村、鹿川、高田、三吉、是長、大生(だいおう)」の一浦でした。
16世紀のころより三吉と高祖、是長と畑、大生(大王)と岡、の集落に分れますが、この新6浦が行政区画としての村と呼ばれたのは寛永15年(1638年)の浅野氏による検地が行われたのちとなります。

その後明治14年の記録では、三吉村376戸(2126人)、高祖村128戸(833人)、是長村236戸(1327人)、畑村241戸(1068人)、岡村154戸(776人)、大王村199戸(1017人)が暮らしておりましたが、明治16年に岡村と大王村が合併し岡大王村に、明治22年、三吉と高祖が合併し三高村となり、是長と畑と岡大王が合併し沖村となりました。

さらに昭和31年となり沖村と三高村が合併して沖美町(1891戸・8447人)となり、字名として、岡大王、畑、是長、美能、高祖、三吉をのこします。

そして平成16年、佐伯郡沖美町、佐伯郡能美町、佐伯郡大柿町、安芸郡江田島町が統合し江田島市沖美町字岡大王となりました。

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天満宮は岬の先端、王城と云われる地に建ちます。

見晴らしの良い断崖の上ですので、古くは見張り用の砦とかがあったやも???ですが、大王(大生)、王城、ともに地名の由来は不明です。

が、・・・一説には壇ノ浦の戦い(1185年4月25日)で源氏に破れ敗退した平家の落ち武者が、安徳天皇を奉じて一時この地に立ち寄ったとも・・・???です。

以下は春先の妄想夢です。

寿永2年(1183年7月25日)木曽義仲に敗れ都を追われた平家一門は、安徳天皇を擁して西国へと逃れました。
一時は優勢となるも、一ノ谷の戦い(1184年3月20日)、さらに屋島の戦い(1185年3月22日)に敗れ、瀬戸内海を流浪したおりに大君(江田島市大柿町大君)の地において手厚い保護を受けました。

その後源平最後の決戦、壇ノ浦の戦い(4月25日)に敗れての敗走中、再び保護を受けるべく大君を目指した平家落ち武者の一団がおりました。

しかしながら、大君を目前に早瀬海峡の警備が物々しいことを察知し、宮島、大奈佐美島の方向へと向かうのですが、こちらは早瀬以上に警備が厳しいことを知ります。
そのため当時は無人島で、原生林に覆われた大黒神島に隠れ住むのですが、やがて対岸である当地(大王)の住人が知るところとなり、この地で匿われます。

しかし、浦々を厳しく探索する追手を警戒し背後の宇根山へ、さらに山越えして、平家落ち武者伝説を今に伝える能美町中町の高下地区へと移り住んだのでは???と・・・(^_^;)です。

さらなる蛇足となりますが、当地では宮島造営や音戸瀬戸拡張工事、造船、海運業などで平清盛とのつながりも深く、平家に恩義を感ずる者も数多くいたと思います。

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かっては正面である海側から登る参道があったやも???ですが、今は裏側に参道がつきます。
手前が本殿、屋根にあげられた千木が外削ぎですので男の神様が祀られています。

この天満宮が「汁御器(しるごき)天神」と呼ばれるのは、大王の船頭さんが廿日市草津から肥料を運ぶ途中、船上での食事が終わり、器に残った梅干しの種を海中に投げ捨てようとするのですが、何度試みても種が器に残ったままとなり、そのことを中村八幡神社の神主に相談、「これは天神様の化身なり」として海を見下ろす岬の上に祠を建て祀ったことが始まりとされます。

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南の方角に向いて建つ天満宮拝殿です。

のべつ浜から吹き上げる風も、雪交じりの冷たい北風も、南から近づく台風も、すべてをまともに受けて建ちますので並みの造りだと吹っ飛んでしまいます。

近年の想定外に発達する巨大台風に備え、鋼鉄のアームでしっかりとした補強が追加施工されています。

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二拝二拍手一拝・・・m(__)mです。
拝殿正面には駿馬の額があげられており、奉納 平成16年3月吉日 広島市 藤本正の名があります。

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屋根を支える垂木が合わさる中に、棟梁が奉納した木槌が留め置かれています。

ちなみに、現在の拝殿は昭和33年9月に再建されたものですが、1841年(天保12年)の再建記録も残っており、その時の総事業費は「十三貫百七十六匁二分五厘」であったと云います。

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昭和33年9月再建時の棟札です。

祀神として八神の名が記されていますが、初めの「屋舩勺々廼智命(やふねくくのちのみこと?)」以下は判読が???・・・m(__)mです。
八神名の後に、記録として
棟札と同衫
奉再建志
奉納 棟梁 木挽 佐官 脇棟梁 石工
大下佐平 七十六才
山中春夫 四十六才
原口清三 三十九才
宮總代
今田敏美 四十三才
寺野下政一 七十七才
花崎泰造 五十八才
原田四市 五十六才
世話人
寺西豊市 五十四才
下西武 二十九才
吉野政一 三十九才
尾城啓 ?才
二本松万太郎 五十才
尾上明夫 三十五才
島津孝一 五十三才
中川伍一 五十一才
昭和参拾参年九月吉日
の文字が見えますが、転記ミスがありましたら・・・m(__)mです。

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御寄附芳名札も貼られています。
右から
一金壱萬圓也 文部大臣 灘尾弘吉
一金参萬圓也 懸会議員 平塩五男
一金五萬圓也 広島市 田丸四郎
一金五萬圓也 神戸市 寺野下隆義
一金五萬圓也 神戸市 松尾政次郎
一金四萬圓也 大柿町 二矢川建設株式会社
一金弐萬圓也 畑 吉本関太郎
一金弐萬圓也 大柿町 中本正数
一金五千圓也 神??道具一式 広島市 中山良一
一金壱萬参千圓也 寺尾孝壐
一金壱萬圓也 花神安太郎
以下にも、ハワイや神戸在住者のご芳名が続きます。

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説明文はありませんが、西能美地区の惣氏神である能美中町八幡神社の祭祀を沖美町の沖地区が授かった年に奉納舞いを演じた子供たちの集合写真です。

ちなみに、能美中町八幡神社の祭礼は9月中旬の(第三土曜日、日曜日)に行われます。
祭礼に伴う準備や祭りでの出し物(だいば ・おたふく・ 雄しし ・雌しし)は西能美の旧5ヶ村(鹿川村・中村・高田村・沖村・三高村)の持ち回り(かやっちょう)となります。

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拝殿の左の木鼻には鋭いタッチで像が彫られています。

木鼻には獅子(しし)や像(ぞう)、あるいは獏(ばく)が彫られることが多いのですが、しるごき天神の木鼻は右が獅子、左には像です。

像と獏は共に長い鼻があり牙もあって、とてもよく似ていますが、一般に目の形状が三日月形で細長いのが像で、丸いギョロ目は獏だといいます。
さらに、耳が団扇のように大きいのが像で、犬のような尖った小さな耳は獏です。
他にも獏には体毛を表す渦のような模様が付きますが像にはありません・・・(*^。^*)です。

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拝殿の入母屋破風(いりもやはふ)には、ハート型の穴があけられた猪の目懸魚(いのめげぎょ)が架けられています。

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天満宮境内からの展望です。
いらかの向こうに見える港は中央から手前が正光港その先は小田港と呼ばれます。

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昭和33年に再建された大王天満宮は、来年、2018年9月に築60年を迎えます。
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