畑 畑漁港(沖港) 2/2

s-畑19750209(S50)畑漁港(沖港) 
上の画像は、昭和50年(1975)2月9日に撮影された畑漁港(沖港)です。

沖港の旅客船桟橋は港の中央部、大きな荷揚げ倉庫の右から沖へと突き出したコンクリート製のスベリで、倉庫の右に小さな乗船待合所の四角い屋根がみえます。

そもそもこの地で人々が社会生活を営むためには、四方を囲む海を往来するしか方はなく、昭和48年、早瀬大橋が開通するまでは船が交通の主役であり、住民の足でした。
ディーゼル船や船外機エンジンが世に広まるまでは、中学生程度の体力があれば皆が櫓舟を操り、一里(4km)沖の大黒神までなら一時(2時間)で行って帰ってこれたと云います。

ちなみに、この地で元祖定期航路と云われるのは、明治38年、沖村の岡田岩吉氏が蒸気船海勝丸(62t)で、大原・深江・沖村・是長・美能・高祖・三吉・高田・中村・江田島・津久茂・大須・似島・宇品の間を一日一往復で結んだのが始まりです。
採算が取れず、3年ばかりで敗退となりましたが、住民の要望や自治体の支援、船の性能アップなどもあって、その後は倉橋、東能美、西能美、江田島、似島などそれぞれに多くの航路が乱立しました。

s-DSCN3938 (2) 
現在も沖港に残る、沖・宇品航路乗船客待合所です。

戦中、戦後の混乱期を乗り越え、
昭和39年、三高・宇品間にカーフェリー就航
昭和41年、「鯉城」沖・宇品航路に就航
昭和47年、「千鳥」三高・宇品航路に就航
昭和50年、「高速艇」沖・宇品間に就航
昭和57年、沖・宇品航路廃止

と、一時は高速艇により、沖から・是長・美能・三高・大須・似島を経由して・宇品の間を1時間弱で結んだこともありましたが・・・。

s-DSCN3930.jpg 
待合所の壁に今も残る昭和57年当時の、沖・宇品航路、高田・宇品航路の、高速艇航路図と時刻表です。

【 宇品行き 第1便 】
沖(07:10)・是長(07:15)・美能(07:25)・三高(07:40)・大須(-)・似島(-)・宇品(08:00)・・・です。

s-DSCN3936.jpg 
港の中央部に建つ、番船積み出し用の農産物一時保管倉庫です。

最盛期には数隻の番船が目ざし状に並び、舳先から渡した踏板を通ってミカンやスイカ、ダイコンやイモ、キュウリやナス、トマト、キャベツなどなど、隣の番船と競争で積み込まれていました。

ちなみに帆船時代の番船(農産物運搬船)は、広島(本川橋 集散場)までを通常3日で往復、冬場の悪天候だと1週間かかることもあったが、発動機船(トントン船)となってからは2日、昭和30年代にディーゼル船となって、やっと日帰りができるようになったと云います。

s-DSCN3929.jpg 
荷揚げ広場から海底へと続く急なコンクリート製の階段は、雁木(がんぎ)と呼ばれる港湾設備で、竜宮城へと続く階段ではありません。

当地は4m近い潮の満ち引きがあり、丈夫な鋼鉄製で浮力のある浮き桟橋が一般的となる前は、このように石やコンクリートで階段を作り、潮の満ち引きに影響されることなく、船からの荷揚げや積みこみ作業をおこなっていました。

s-DSCN2754.jpg 
手前のレール状に木材が取り付けられた斜面は、船の修理や船底掃除などをするためのスベリです。
その先にコンクリートで階段状に造られた雁木(がんぎ)がみえます。
最奥に見える大きな建物が、農産物の積み出し品を一時保管庫したり、船から荷揚げした物資を保管する倉庫です。

古くからの港にはこの三点がセットとして必ず造られていましたが、船(番船)による農産物や物資の輸送が無くなったことから、倉庫をなくして駐車場に、雁木は港湾改築でコンクリートの下に埋められ、代わりに浮き桟橋が繋がれるようになりました。

スベリは今も使われていますが、多くの船は整備会社に一任し、船長自らが修理したり船底のペンキを塗ったりすることは少なくなりました。
また、小型船などはグレーンで持ち上げ、台車に乗せて保管場に移動してから点検整備を行います。

s-DSCN2729.jpg 
港として、最低限必要とされるのが防波堤です。
古い時代に造られた多くの防波堤が取り壊されたり、新たに築かれた荷揚げ場の下に埋もれたりしていますが、ここには旧畑港当時の防波堤が今も残っています。

天下の大阪城桜門には蛸石と呼ばれる大石(5.5m×11.7m 推定重量130t)、京橋口には肥後石(5.5m×14.0m 推定重量140t)などなど、とてつもなく大きな石を使った工事がなされています。
(ちなみに、蛸石は備前犬島から切り出された花崗岩、備前石は讃岐小豆島の花崗岩、ともに工事担当者は岡山藩主池田忠雄です。)

このような国家規模の一大プロジェクトであれば数十トンの大石を運搬し正確に設置する技術もあったようですが、漁港の防波堤工事にお殿様が威信をかけるはずもなく、大型重機の無い戦前であれば、2、3人の石工さんが滑車やカナテコを使って動かせることができる、最大でも数百キロ程度の石で築かれます。

ちなみに花崗岩の比重は約2.7ですので、50cm四方の石だと340kg、普通石垣に使用される表面が50cm角の四角錐だと重量も110kg程度で、この防波堤もそのような重量の石を集めて構築されています。

s-2015-03-13 278 
古い防波堤の上にコンクリート柱が立てられており、側面に字が読み取れます。

昭和十二年??竣工
工事請負者
倉橋島 中川己之助・中川九?

s-2015-03-13 277 
岬の突端付近に、煉瓦とモルタルで作られた、燃料保管庫と思える建物があります。

使用されている灰色の煉瓦はおそらく「炭滓煉瓦」とよばれるもので、大正時代に宇部・小野田で石炭灰(石炭ガラ)を利用して作られた無焼成煉瓦では???と思いますが???。

s-DSCN2728.jpg 
燃料保管庫?の壁から送油管らしきパイプが突き出ています。

s-2015-03-13 280 
畑港を北風から守る、岬突端部分の花崗斑岩です。
この花崗斑岩は江田島の基盤となる呉花崗岩の割れ目に貫入した岩脈で、呉花崗岩よりもやや風化に強く岬や山の稜線部分を形成することが多い岩石です。

その固い花崗斑岩に、海風と砂によって半球状の穴があけられています。
岩をここまで穿つには、さて、幾千年の年月ぞ・・・(*^。^*)です。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
検索フォーム
カテゴリ
リンク
最新記事
月別アーカイブ
プロフィール

わきです

Author:わきです
FC2ブログへようこそ!