是長 石仏・大名切

s-石仏・大名切地図 
是長地区に石仏・大名切(おなぎり)の地名が残ります。

s-石仏・大名切 
画像は昭和37年7月30日(国土地理院よりコピペ・・・m(__)mです。)

昭和35年3月、是長から海岸沿いに美能、高祖、三吉へと通ず県道36号線ができるまでは、三高地区(三吉)から沖地区(是長)へ向かうには、木下川に沿ってさかのぼり、三高ダム付近からはつずら折れとなる山道を登り、山名水でのどの渇きを癒し、砲台山への分かれ道でもある高松峠を越えて沖地区(是長)へとたどる一本道が唯一の交通陸路となっていました。

大名切と石仏は、三吉と是長の境である高松峠から是長へと道なりに5、6百m下った道の両側にあります。

s-DSCN2326.jpg 
大名切(おなぎり)の云われは、厳島の合戦(1555年)に敗れた陶晴賢の残党が、三吉から高松峠を越えて逃げる途中、ここで力尽き果てた。
その霊を弔い石仏をたて、地名を大名切として今に語り継ぎます。

のち、この付近から金の小仏像が発見され、戦国時代にかぶとの中に入れてお守りとしたものだろうとされ、野間家が所蔵しておりましたが、火災により焼失したと伝わります。

大名切石碑から道路を挟んだ向かいに石仏が置かれています。

s-DSCN2327.jpg 
道路からは石段があり、さらに台座を置いた上に一体のお地蔵様と、石仏数体が置かれています。

s-DSCN2328.jpg 
元は野ざらしで置かれていましたが、平成十三年十月、施主西中啓、施工石原義男両氏のご努力によりお堂が建てられました。

s-DSCN2329.jpg 
追手にかかり果てた陶軍残党は、かぶとを被った上級武士とその従者数名?、お地蔵様の両側に2体、台の下にも数体の石仏がおかれ、お地蔵様の乗る台座を囲んでいます。

s-DSCN2331.jpg 
自然石を石仏としたのか?、あるいは石仏が長年の風雨で自然石に戻ろうとしているのか?・・・その石仏に菊の花が手向けてあります。

深く頭を垂れて、合掌・・・m(__)mです。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
検索フォーム
カテゴリ
リンク
最新記事
月別アーカイブ
プロフィール

わきです

Author:わきです
FC2ブログへようこそ!