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美能 美能胡子神社

s-胡子神社 
西能美の北西端、美能内海漁港には花崗岩の立派な玉垣をめぐらして「美能胡子神社」が建ちます。

現在は此の地を沖美町大字美能と称しますが、古くは高祖村箕尾浦(みのおうら)とも美濃ともよばれ、高祖村の一部でした。
昭和31年の沖美町成立に合わせ大字美能としました。

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美能内海漁港の奥、元塩田防波堤の上に建立されたピカピカの胡子神社です。

美能地区の主要部は、島だった鶴原山(107.2m)の付け根部分を埋めた砂州を干拓したもので、その干拓地の南北両側に港をもちます。

胡子神社のあるのは美能内海漁港で、魚魂碑のある南(是長)側が美能外海漁港です。

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この付近よりも陸(南)側には、江戸時代中期に竹原より移り住んだ河野家(播磨屋)が、広い塩田を開き製塩業を営んでいました。
品質的には良くなかったようで(背後の山林が貧弱で、塩釜で煮詰めるための燃料不足から?)、能美島志(1763年)では「高貴の人の食に堪えない」と酷評されました。

その塩田の防波堤を補強するため百数十本の松が植えられ、その白砂青松を「美能松原」と称賛されるとともに集落を風波から守っていましたが、松枯れや平成3年の19号台風の被害を受け、ついには全滅となりました。

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神社を訪れたのは春3月でしたが、正月用に張られたしめ縄がほぼそのままに残っていました。

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社殿脇に建てられた、建立寄附者の芳名を記した銅板が陽光にまぶしく輝きます。

美 能 胡 子 神 社 建 立 寄 附 者 御 芳 名
平成17年9月吉日建立
建築施工 谷本建築

芳名者五十音順
金 参 拾 萬 円
寺本昭登
金 弐 拾 萬 円
垣内厳・久保河内克彦
金 壱 拾 萬 円
大越睦行・垣内隆二・久保河内鎭孝・久保河内進・河野憲三・坂田幸信・重松建設(株)・ダイユウ技研土木(株)・三高運送(有)・三高鉄工(有)・山勝建設(株)
(株)ユービィーケイ
金 五 萬 円
大越善美・久保河内慶・久栄建設(株)・河野祥和・(株)大新土木・寺本龍二・三戸充
金 参 萬 円
垣内仲仁・河野春登・山本勇二
金 弐 萬 円
後河内千秋・後河内友喜・大越敏弘・大越則秋・大越秀成・大越英樹・大越道政・垣内宏・勝田啓敏・勝田覚・勝田弘・勝田正弘・川崎照秋・久保河内力・河野孝明・河野成明・河野道孝・谷本貞夫・東和科学(株)・増田喜代信・松岡修・丸本久清・三浦美行・三戸直樹
金 壱 萬 円
市谷シズコ・石田勝活・後河内信枝・後河内浩・後河内学・後河内義明・上向吉臣・沖本誠・大内一二三・大越勇・大越泉男・大越勝博・大越数幸・大越サカヱ・大越真也・大越艶子・大越積・大越敏春・大越信夫・大越秀道・大越保則・大越博喜・大越正樹・小川電機(株)・垣内哲夫・垣内英子・勝田哉也・勝田浩一・勝田誠・勝田康彦・川崎一義・川崎真司・川崎誠司・川崎博美・川崎法人・川崎佳彦・久保河内香・久保河内勝見・久保河内清人・久保河内武・久保河内忠・久保河内忠一・久保河内博美・久保河内忠正信・久保河内満弥・久保河内六十・久保河内ヤエ子・久保田進・河野考也・河野武浩・河野秀明・河野善行・河野幸雄・坂田浩二・武田民子・田中啓伯・谷アサノ・谷本爽一・谷本信明・寺本繁樹・寺本紀昭・東昭三・東雅信・畠山尚・原庸介・広永博美・広永弘・広永光正・三浦篤務・三浦一幸・三浦繁之・三浦威・三浦達彦・三浦広和・三浦悟文・三浦政寛・三浦政秋・三浦正信・三浦正也・三浦義秋・三浦ミエ子・三戸美俊・松岡則文・水口順子・山路昇・山本光雄・山本俊幸・脇西薫・和田道則

誤字脱字などありましたら・・・m(__)mです。

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社殿正面に立たせていただき、二拝二拍手一拝 ・・・m(__)mです。

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標柱の裏面には「美能漁業協同組合」「新生活運動推進協議会委員」「平成十七年九月吉日」と彫られています。

ちなみに、江田島市内の神社では一般的に見る鳥居ではなく、石柱二本だけが建つ標柱が多く用いられています。

一説には、鳥居形式への発展前段階であるともいわれますが、広島県神社庁の説明では・・・
以下はコピペ文・・・m(__)mです。

標 柱 (しめばしら) 
皆さんが神社を訪れたときその入り口に 、むずかしそうな文字が刻まれている、一対の石柱を目にされると思います。
しかし、一般にはその 読みや意味がなかなか理解しにくく、あることは知っているものの、余り読む事を意識されてないのが実情であろうと思われます。

この石柱は 「標柱(しめばしら)」 といい、そこに彫られた語句は 「宣揚文(せんようぶん)」 といいます。
この「標柱」というものの建立は全国的なものではなく、瀬戸内に多く、中でも広島県が圧倒的に多くその数約1千百社、1千五百対(平成10年)あるそうです。

「宣揚文」 を刻む目的は五穀豊穣祈願、国家繁栄祈願、凱旋記念、神社の改装記念、中には個人的な記念などもあるようです。

江田島市内においては単に神社名が彫られることが多いのですが、唯一、能美八幡神社と深江荒神社には石鳥居に加え、その前面に宣揚文を深く刻んだ大きな標柱が建ちます。

「深江 荒神社」の宣揚文には「刀兵不能害」「水火不焚漂」とあります・・・(*^。^*)です。

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玉垣の外から胡子神社の右側面です。

s-内港胡子神社 
砲台山登山道中腹から見た美能内海漁港、画像右上の島は大奈佐美島、左上に宮島弥山が見えます。
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