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三吉 三高の菊発祥之碑

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山を削り深い谷底を一気に流れ下る木ノ下川は農業用水としては利用しづらいのですが、その豊富な水量は三高地区に大きな恵みをもたらしました。

ただ、その恵みを得るために必要な水路づくりや、井戸を掘るのも、さらにはそのメンテナンスや分配にいたるまで、すべてが人々の協働と協力により成り立っていました。

傾斜地に棚田をつくり、しかも個人ではごく狭い耕作地しかもたない、古来よりの米作りにおいて、地域住民の団結力は絶対的なものです。
三吉にはその団結力と協働協力、生真面目で粘り強い風土が今も息づいており、他地区ではほぼ壊滅した稲作が今も広く行われています。
(もっとも、それが嫌で農業を諦める場合もあるのですが・・・(^_^;)です。)

今も稲作が盛んな三吉地区ですが、それにも増して盛んとなっているのが花卉類、とくに菊の栽培です。
減反政策による代替え作物として拡大し増産されたのですが、バルブ崩壊後の経済低迷の影響を受け、しだいに縮小傾向にありました。

が、近年の緩やかな経済成長や団塊世代の帰郷就農などもあってか、少しづつですが増産傾向にあります。

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徳正寺から少し上流へと登った古戸地区に「三高の菊発祥之碑」が建てられています。

側面に、栽培面積12ヘクタール・生産本数3百万本・組合員数52名
昭和61年10月 三高花組合建 と、あります。

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6月上旬、露地栽培で生育中の菊です。

黄色い花が見える畝は親となる菊で、そこから芽生えた若芽を4月ごろに切り取り、挿し木にされます。
その挿し木から育てた苗が、向こう側に見える雑草防除用の白いビーニール覆いに開けられた小穴に整然と植えられています。

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6月下旬、ガンガンと急成長しています。

菊は肥料食いで成長も早いのですが、沢山の有機肥料をすき込んだ、水はけの良い土地でないと商品価値のある菊は出来ません。

ちなみに栽培菊は中国唐時代に盛んとなったものが移入された?あるいは日本古来の野生菊からの派生?あるいは両種の混血?などあり、定説とはなっていません。

日本で和歌に詠まれ始めたのは平安時代となってからで、さらに鎌倉初期、後鳥羽上皇(1180~1239)が「菊紋」を皇室の家紋としたことで、春の桜に対する、日本の秋を象徴する花へと昇格しました。

またヨロッパやアメリカで品種改良された洋菊のルーツは、幕末の頃に持ち出された日本の栽培菊であるとされます。
(以上はウイキペディアの要約・・・m(__)mです。)

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品種選択や栽培時期をずらすことにより、周年にわたり生花が出荷できるよう調整されています。

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植えられて間もない温室栽培の菊です。

露地栽培に比べ、より生育管理がしやすく出荷時期の調整も可能ですが、加温や電照など生産コストも高くつきます。

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出荷用に切り取られ、傷みにくいように束にされた温室栽培の菊です。

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軽トラ、いや普通トラックの荷台に山と積まれた菊の巨大花束です。

かっては番船で運ばれましたが、平成に入ったころより、左に見える沖美運送の大型トラックに積み替えられ、陸路花卉市場へと運び込まれます。

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三吉に菊の栽培畑は沢山あるのですが、畑一面に菊の花が咲き乱れることは、まずありません。

開いてしまった菊の花では商品価値がなくなってしまうからです。
たまたま見ることができるのは、切り取ったあとの株から芽生えたわき芽から咲いた花、それも来年の挿し木苗を取るために、親株として残したからです。

普通は蕾で切り取られ、残った根っこは病害虫予防を目的にすぐさま引っこ抜かれて焼却されます。

「花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき」・・・(*^。^*)です。
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