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大君 古地図(芸藩通志)

s-大君古地図(全)AB
画像は「芸藩通志」文政8年(1825年)をコピペし、地名を書き加えたものです。
コピペ精度不足により読み取りが不能となった文字は未記載、あるいは創作して書き加えています。
正確には「芸藩通志」をご覧ください・・・m(__)mです。

(注) 川の河口部、塩田付近の水路ははっきりしません。

大君古地図(北西)A 
大君村の北西部を拡大したものです。

大君古地図(南東)AB
大君村の南東部を拡大したものです。

先年、南城山古城跡のある半島の麓に新しく説明板が設置されました。
以下は、その説明板のコピペ、誤字脱字ありましたら・・・m(__)mです。

御 立 山 (おたちやま)
久寿元年(1154年)僧浄哲が兄田中秀干(大君の豪族の祖)を慕って伊予国から来て向猪山(南城山後の御立山)に先祖菩提のため一宇の薬師堂を造営する。
寿永四年(1185年)屋島の戦いに敗れた平宗盛を棟梁とする平家の軍勢は安徳天皇と三種の神器を奉じて建礼門院、二位の尼を帯同し100艘余の船で平氏の拠点彦島を目指して瀬戸内海を西下する途上の三月十八日(陰暦)当時大美(又は多海)と呼ばれていた当地に来航した。
大美(おおみ)の海辺の豪族田中秀栄が出迎え建礼門院らに「后城(きさきじょう)」を用意提供し、向猪山(こういやま)にあった自らの屋敷を城として献上した。
宗盛は后城の南にあるこの城を「南城(なんじょう)」と名付けた。
安徳天皇は当地における一日を南城に行幸し四囲の眺望を見渡せる所に御立になられ、付添いの女官たちは南城の高台から東方を見つめ福原の御所恋しさに涙したという。
大君住民は天皇が行幸した南城山を「お立山(おたちやま)」と呼び今でも安徳天皇を慕う。

平成二十七年 大君の歴史を啓発する会

s-DSCN6552 (5) 
芸藩通志記載「大君村」の原画(コピペ)・・・m(__)mです。
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